さよなら団地?

朝日新聞』の記事;


さよなら「松原団地」駅 団地と歩んだ半世紀、来春改名

伊藤悟

2016年6月23日07時13分


 東武鉄道は22日、東武スカイツリーライン松原団地駅(埼玉県草加市)の駅名を来年春、「独協大学前〈草加松原〉」に変更すると発表した。マンモス団地の入居開始とともに1962年に開業した歴史ある駅名は55年で消えることになる。

 市によると、10年ほど前から「松原団地の建て替えや市街地の開発で、駅周辺の環境が大きく変わっている」と駅名変更を求める市民らが運動を開始。2014年、松並木「草加松原」が国名勝に指定されたのを機に、草加商議所や町会連合会の会員らを中心に駅名変更を求める協議会が設立された。

 一方、現駅名への愛着が強い住民もおり、市は昨年7〜10月、団地の住民らから意見を聴いた。反対の声もあったが、協議会の要望通りに駅名変更を東武鉄道に求めることが決まった。

 64年に開学した独協大景勝地の名を冠する新駅名について、田中和明市長は「若者が学ぶ成長性と、いにしえの雰囲気が漂うまちというイメージをアピールし、地域の魅力を高めたい」とコメントした。(伊藤悟)
http://www.asahi.com/articles/ASJ6Q4TZHJ6QUTNB00L.html

スカイツリーライン」って要するに伊勢崎線のことですよね。東武野田線も「アーバンパークライン」という意味不明且つ口に出すのが恥ずかしい名前に変えてしまったし*1、駅名を変えるか変えないかよりも、こっちの方が問題なんじゃないか。さて、以前伊勢崎線はよく利用していたのだが、「松原団地駅」は印象が薄い。それはこの駅は急行などが止まらず、何時も何時の間にか通過していたからにほかならない。
話を戻して、駅名を変える理由だが、「松原団地の建て替えや市街地の開発で、駅周辺の環境が大きく変わっている」からだという。これだけを読むと、「建て替え」られ建物が新しくなっても「松原団地」は「松原団地」なんだから、駅もそのままでいいじゃん、と思ってしまう。しかし、都市再生機構の方も「草加松原団地」というのは止めているらしいのだ。「建て替え」られた部分は既に「松原団地」ではなく「コンフォール松原」と呼ばれているようだ*2。だから、駅名変更の背景には「松原団地」というのが近い将来なくなってしまうということがあるわけだ。勿論、だったら東横線の「都立大学駅*3や「学芸大学駅」はどうなるんだよという突っ込みはあるだろう。
勿論、4階建てのような中途半端な団地を超高層化するというのは理に適っている。私は、「団地」という言葉が都市再生機構の官僚たちにとっても一般人にとっても、頗るださくて昭和臭い、21世紀人の語彙の中に居場所を与えてはならない言葉として認識されているのかなと思った。そうじゃなかったら、「コンフォール松原」なんて変な片仮名言葉を使うわけはない。「戸山団地」のような都心近くの団地の限界集落」化も指摘されており*4、「団地」という言葉自体、近い将来死にゆく高齢者たちと運命を共にさせたいということなのだろう。
それで、色々な疑問やら想念やらも頭の中を通り過ぎていく。例えば、「団地」って何時頃まで作り続けられていたのか。最後の新築団地というのは昭和だっただろうか。団地のイメージだけれど、墓石を横倒ししたような画一的な4階建てくらいの鉄筋コンクリートの集合住宅が何十棟も連なっているという感じ。エレヴェータはない。大規模な団地であれば、スーパー(商店街)、郵便局、銀行、さらには保育所や小学校も、組み込まれている。実は、横倒しされた墓石以前のデザインは、2階+小さな庭からなるユニットが4つか5つ集まって1棟の建物になっているというもの。これはテラス・ハウスというのだろうか。私の近所にあった団地はこれだったし、東上線南福岡駅前の公団もこれだった筈。子どもの頃、年寄りが団地のことを西洋長屋と言っていたけれど、これはテラス・ハウスからイメージされたわけだ。
大規模な団地というのは別の世界のような感じだった。横倒しされた墓石のような鉄筋コンクリートの住宅というのは役所の官舎とか企業の社宅というかたちで近所に存在していた。しかし、それは1棟だけのもので、団地とはいえなかった。近所にあった公団住宅は前述のようにテラス・ハウスだった。本格的な団地というのは、千葉市の花見川団地とか船橋市の高根団地まで行かなければなかったような気がする。