乱暴!

朝倉秀雄「【永田町炎上】辞職だけでは済まされぬ舛添要一の”嘘だらけ人生”」http://news.livedoor.com/article/detail/11658306/


舛添要一に対しては何を言っても許されるようになっているようだ。
このテクストも、舛添に対する批判を超えて人格否定に至っている。例えば、「もっとも日頃、偉そうに綺麗事を宣いながら口先三寸で世渡りし、都合が悪くなると嘘八百を並べて世間を欺こうとする「嘘だらけの人生」を歩んできたイカサマ師に「潔さ」を求めるほうがどだい無理な相談だろう」とか。それで、「政治家よりもランボーになりたかった舛添の凶暴性」という小見出しがつけられた一節は寧ろ朝倉という「元国会議員秘書」のレトリックの凡庸さと無教養ぶりに爆笑してしまった。


 舛添といえば、吝嗇と異常な金銭感覚ばかりが浮き彫りにされたが、それはあくまで彼の一面に過ぎない。本性は前頭部が禿げ上がった魁偉な面貌が象徴するように「旺盛な性欲」と「暴力性」とにある。その証拠に3人目の女房との子供2人の他に愛人に生ませた婚外子が3人もいる。さながら少子化社会の「救世主」のごとき「絶倫男」だが、その種の男の常として、乱暴狼藉が大好きらしい。

 それを見抜けなかったのが女性初の財務省主計官にして「日本一頭のいい女」こと片山さつき参議院議員だ。片山は舛添の二番目の女房になった挙げ句、ひどい目に遭ったらしい。その言い分によれば、舛添はサバイバルナイフを収集するのが趣味らしく、彼女に家庭内暴力を振るい、時にはナイフの刃先を突きつけたりしたという。「犬も食わない」夫婦同士のイザコザだから真偽のほどは定かでないが、もし片山の言う通りなら、舛添というのは「凶暴」極まりない男ということになる。あるいは映画の「ランボー」気取りだったのかもしれない。

舛添要一片山さつきへのDVというのは以前に拙blogでも言及したことがあり*1、別に目新しいネタではないだろう。問題なのは、「映画の「ランボー」気取りだったのかもしれない」。「ランボー」って、シルヴェスター・スタローンが主演したシリーズであり、スタローンが演じた主人公のことでしょ。何で、この文脈で「 ランボー」を持ち出すのかな。一連の映画を観たことがない人は朝倉の文を読んで、『ランボー』ってDVについての映画なのかと誤解する可能性もあるんじゃないか(そんな馬鹿が現実に存在するわけないか)。DV云々以前に、「ランボー」は独身者で、家族を持たない。つまり、彼にはDVの対象が存在しないのだ。無論、『ランボー』という映画の暴力性やら政治的な反動性やらは批判の対象になってきた。だけど、舛添要一は暴力的だということをいいたくて、「ランボー」を持ち出すというのはちょっと乱暴すぎるんじゃないか。また、孤独でストイックな戦争機械である「ランボー」の暴力と舛添の暴力を同一視できるかという問題もある。