「ハラスメント」或いは変な奴の居場所

産経新聞』の記事;


2016.2.17 20:11更新

「授業中に不適切発言」と相談ポストに 何らかのハラスメントで40代男性准教授を懲戒解雇 奈良女子大

 奈良女子大学奈良市)は17日、学生にハラスメント行為をしたとして、40代の男性准教授を懲戒解雇処分にしたと発表した。

 同大によると、平成26年11月に学内の相談ポストに「授業中に不適切な発言があった」とする匿名のカードがあったため、調査委員会を立ち上げて調査。役員会で処分内容などを検討した。准教授は大学側から指摘されたハラスメント行為を認めているという。

 大学側は具体的な行為内容を明らかにしておらず、「被害者のプライバシーを配慮しなければならないと判断した」としている。
http://www.sankei.com/west/news/160217/wst1602170089-n1.html

奈良女子大学は2月18日で、「本学職員の懲戒処分について(2/18)」という公告を出している*1。それによると、

当該教員は、不適切な授業運営により学生の学習機会を制限したうえ、授業中に学生に不快感を与える言動を繰り返し行いました。
さらに、学生に対する重大なハラスメントを行い、修学環境を著しく悪化させました。
これは、本学職員就業規則、本学職員倫理規程及び本学セクシュアル・ハラスメント等の防止等に関する規程に違反するものであり、当該職員を懲戒解雇としました。
「学生に不快感を与える言動」と上の産経の記事にいう「不適切な発言」が同じだとすれば、「ハラスメント」はそれとはまた別の行為であるようだ。しかし、わざわざこの文脈で言及されているということは、「学生に不快感を与える言動」も罪の一部を構成しているということだろうか。
奈良女子大は昨年5月にもやはり「40代の男性准教授」に対して譴責処分を行っているのだが*2、このことを教えてくれた方は今回「懲戒解雇」になったのと同一人物であり、今回「解雇」という重罰が課せられたのは〈再犯〉だったからだよとおっしゃっていた。譴責*3処分の方の〈罪状〉は

当該職員は、指導学生に対し、良好な教育研究環境を提供せず、研究指導の域を越えた言動により、精神的被害を与えました。
その内容は、本学職員就業規則及び本学セクシュアル・ハラスメント等の防止に関する規程に違反するものであり、当該職員を懲戒処分(けん責)としました。
ということ。因みに、私は同一人物かどうかはわからない、或いは多分違うんじゃないかなと思う。
新聞報道がなされ、大学も自らのサイトに公告を出しているわけだが、定冠詞であれ不定冠詞であれ冠詞がなく、単数/複数の区別もない日本語で書かれていることも相俟って*4、外部の者には何が起こったのか、さっぱりわからない。まあ、さっぱりわからないというのはあくまでも外部の者にとってであり、内部というか奈良女子大の関係者にとっては、いくら「被害者のプライバシーを配慮」とかいっていても、カフェとか居酒屋とかでのホット・トピックになっているのだろう。勿論、部外者はすっ込んでいやがれ、というのは理解できないでもない。私も含めて、部外者の多くが下衆な興味をもっているというのも事実であろう。でも、これに限らず、色々な事件がそのディテイルまで含めて報道されることによって、市井人たちが、こんなことしたんだったら罰せられても仕方ないねとか、こんなことで罰せられるのはちょっと大袈裟なんじゃないかとか、ぺちゃくちゃしているうちに、判断としてのコモンセンスが磨かれ・蓄積されていく、ということもあるわけだろう。こういういったい何が起こったのか皆目見当がつかないという感じの公表の仕方は、大学による処分の妥当性が公共的に判断・評価されるための基礎がなくなっているということなのだ。勿論、プライヴァシーという問題が壁になることもある。しかし、プライヴァシーの保護と事件のできるだけ分厚い記述の相克に如何に折り合いを付けるのかということは、良心的で有能なジャーナリストなら誰でも悩み・苦労している筈なのだ。
さて、奈良女子大学が「学生に不快感を与える言動」という表現を使っていることも気にかかる。このような主観的な基準を使用していいのか。「不快」な奴は排除する。そういうのって、ノートに虫の写真があってキモいからやめろという馬鹿*5と同じレヴェルなのでは? もしそうでなかったら、「被害者」を馬鹿と同じ水準にまで貶めているということになるのではないだろか。
青柳祐美子さんは、自分の母校の上智大学比較文化学部について、

私の通っていた大学の教授は、実に変わった人たちばかりだった。まじめくさった顔をしてアメリカ文学を語る傍ら、夜な夜なジャズバーでピアノを弾くことに陶酔する学部長。皮肉な講義がクールな日本古典の教授は、常に女性問題が山積みになっていたし、演劇史の老教授は、講義のたびにまったく違う人格、声色まで変えて教壇に立った。離婚して引き取った息子を九十分の授業の間ずっと廊下で待たせ、はたで見ていても気の毒なくらい溺愛し窒息させていた女教授はイギリス文学の権威だった。
日本語を忘れるほど海外生活が長かったり、日本に何十年も好んで住んでいる外国人だから、人と違っているのは当然なのかもしれないが、その中で私にとって唯一きちんと存在していたのが須賀先生だった。(「解説――すべては昔々のものがたり」in 須賀敦子『塩一トンの読書』*6、pp.164-165)
今だったら、「懲戒処分」出まくりだね、上智大学

*1:http://www.nara-wu.ac.jp/news/H27news/20160218.html

*2:http://www.nara-wu.ac.jp/news/H27news/20150526.html

*3:大学側は政治的に正しい(笑)「けん責」という表記をしているが、勿論そんな表記は正しい日本語としては認めない。

*4:だから、こういうアナウンスは日本語ではなく英語か仏蘭西語でやってほしいと思う。

*5:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141130/1417274885 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150203/1422978369 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150209/1423453712 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150505/1430844535

*6:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20151228/1451281770