Where the Wild Ones Are

『スポーツ報知』の記事;

加瀬邦彦さん急死、喉のチューブ塞がり自殺の可能性も

スポーツ報知 4月22日(水)7時3分配信


 1960年代後半に「想い出の渚」などのヒット曲を出し、グループサウンズの代表的バンドして活躍した「ザ・ワイルドワンズ」のリーダーで、作曲家・音楽プロデューサーの加瀬邦彦(かせ・くにひこ)さんが21日午前、死去した。74歳だった。加瀬さんは都内の自宅で、呼吸用の喉のチューブがふさがった状態で亡くなっていた。関係者によると、自殺の可能性が高いとみられる。葬儀・告別式、喪主は未定。

 ビートルズに影響され、日本にグループサウンズのブームを巻き起こした立役者が、ポールの来日公演の初日にひっそりと亡くなっていた。

 関係者によると、この日午前5時ごろ、家族が自宅で倒れている加瀬さんを発見し、110番通報した。警察が駆けつけた時にはすでに亡くなっていたという。

 加瀬さんは喉頭がんの手術をしており、呼吸用のチューブを喉に通して生活していたが、発見時にはふさがっていたという。発見された状況から、自らチューブをふさぎ、自殺を図った可能性が高いという。警視庁は、事件性はないとしている。この日夜、自宅前には大勢の報道陣が集まったが、所属事務所の関係者は「詳しいことは明日発表します」と話した。

 加瀬さんは慶大在学中からバンドを始め、「ザ・スパイダース」「寺内タケシとブルージーンズ」で活躍。ビートルズ日本武道館公演に刺激を受けて、66年に「ザ・ワイルドワンズ」を結成。バンド名の名付け親は慶大の先輩・加山雄三(78)だった。当時はグループサウンズの全盛期で、加瀬さんは12弦ギターの豊かな音色で人気を博した。

 71年の解散後は音楽プロデューサーとしても活躍。ザ・タイガースからソロに転身した沢田研二(66)に「危険なふたり」「TOKIO」などの楽曲を書き、トップアーティストに押し上げる立役者となった。81年にはワイルドワンズを再結成した。

 私生活では94年に食道がんを経験。手術を経て寛解状態となり、ライブハウスでのステージに加え、加山や沢田とツアーを回るなど精力的に活動を続けてきた。しかし、昨夏からは体調不良のため、コンサート活動を休止。23日にも加瀬さんがオーナーを務めるライブハウスで「加瀬邦彦ザ・ワイルドワンズ」としてのステージが予定されていたが、体調不良で出演をキャンセルしていた。

 ◆加瀬 邦彦(かせ・くにひこ)1941年3月6日、東京都生まれ。慶大在学中にバンド活動を始め、63年に「スパイダース」加入。「寺内タケシとブルージーンズ」を経て、66年に「ザ・ワイルドワンズ」を結成。71年にいったん解散するも、81年に再結成した。バンド活動以外にも作曲家、音楽プロデューサーとして活躍した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150421-00000175-sph-ent

とても痛ましいことではあるけど、病気(癌)を苦にしての自殺というのは理解可能である。喉頭癌というと、最近ではつんく♂が声帯を摘出したというし*1忌野清志郎もそうだったし*2坂本龍一も患っていなかったか。
さて、(あまり好きではない)*3加山雄三もそうだけど、慶応義塾大学の音楽への貢献はもっと論じられて然るべきだろう。その度合は、東京大学は勿論のこと、早稲田の比でもない。
モーリス・センダックの絵本はWild OnesではなくWild Things*4
Where the Wild Things Are (Caldecott Collection)

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