没収は無期限

承前*1

志葉玲*2「脅かされているのは杉本祐一さんの権利だけではなく、人々の生命や財産−外務省による旅券強制返納」http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20150209-00042913/


シリア渡航予定者からの外務省によるパスポート没収事件について。


(前略)杉本さんによれば、外務省の職員は「パスポート返納は無期限」だと言い渡したという。つまり、今後もパスポートが発行されない恐れもあり、シリアのみならず一切、海外取材ができない可能性があるのだ。
このパスポート没収は指圧の心は親心(パターナリズム)に還元できるものではない。

気になるのは、外務省が持参した文書に「退避勧告に従わず、シリアへの渡航を企てていること」との文言があったという点。「退避勧告」とは、外務省が発信する世界各地域の「危険情報」に過ぎなく、強制力を伴う命令ではない。つまり、「従う」義務はないのだ。通常、シリアにかぎらず世界各地の紛争地では「退避勧告」が発令されており、「退避勧告」を理由に、パスポートの強制返納ができるようになれば、事実上、紛争地取材は不可能となる。警戒しなくてはならないのは、今回の杉本さんの件を前例に、「旅券名義人の生命や安全」のためではなく、政府の都合で、紛争地取材を行うジャーナリストにパスポートの強制返納を命じるようになりかねないことだ。

実際、自衛隊イラクに派遣されていた2004年から2009年頃、日本の外務省は各国のイラク大使館に日本人へビザを発給しないよう、要請していたのだ。さらに、ジャーナリストの綿井健陽さんに一旦発給されたイラクビザが日本の外務省の横槍で取り消された事例もある(関連情報)*3。当時、自衛隊イラク派遣はその是非で大きな議論を呼び、世論の賛否も大きく分かれていた。だが、イラクに派遣された自衛隊の活動実態や、自衛隊員が実際にどの様な脅威に直面しているかについては、ごくごく断片的な情報しか出てこなかったのである。もし当時、日本人ジャーナリストがもっと容易にイラクのビザを取れ、取材活動を行っていたならば、自衛隊イラク派遣に対する世論も大きく違っていたことだろう。


「戦争で最初犠牲になるのは真実」とはよく言われることだが、戦争において権力は必ず嘘をつき、情報操作を行う。だからこそ、ジャーナリストはそうした権力の嘘や情報操作に対抗し、実際のところ何が起きているのか、人々に伝えなくてはならないのだ。外務省によるジャーナリストへのパスポート強制返納命令が横行するようになって、都合が良いのは誰か。今、安倍首相は集団的自衛権行使の法整備を推し進めているが、自衛隊が日本を守るためではなく、米国等の戦争のために紛争地に派遣され、現地で死傷するような事態になれば、世論の反発が予想される。そうした現地の実態をジャーナリストに取材されては困るのだ。だから、政権の裁量で、パスポートの強制返納命令が行われる、ということも、今後起こりうることとして警戒しなくてはならないのである。本稿をお読みになっている読者皆さんには、まさかそんなことは起きないのではないか、と思う方々もいるかもしれない。ただ、思い出して欲しいのは、安倍政権は、現在の憲法では不可能な集団的自衛権の行使を、「可能」と勝手に解釈して閣議決定し、憲法の理念に基づく武器輸出三原則も、やはり閣議決定で撤廃してしまった。そして稀代の悪法である特定秘密保護法を強行し、今回のISIS(イスラム国)による人質事件の対応を追及されたら、「特定秘密」であると言い出す始末なのだ(関連情報)*4
ところで、『東京新聞』はパスポート没収事件に対する米国ジャーナリズム界の反応を伝えている;

「旅券返納 日本の対応異例」 米報道団体など疑問視

2015年2月11日 朝刊

 【ワシントン=斉場保伸】イスラムスンニ派の過激派組織「イスラム国」が一部を支配するシリアへの渡航を計画していたフリーカメラマン杉本祐一氏(58)に対し、日本政府が旅券の返納を命じた問題で、米国の報道団体には報道の自由の観点から「世界的に見ても異例の対応」との受け止めが広がっている。報道の自由は民主主義社会の根幹にかかわるだけに、米各メディアも一斉に報じ、日本国内で憲法違反の疑いが指摘されている現状を伝えている。

 メディア規制の動きを監視する「国境なき記者団」米国事務所代表のデルフィン・アルゴン氏(30)は「米国でそんなケースは聞いたことがない」と指摘。基本姿勢として「戦争取材に関係する危険性は、ジャーナリスト個人か所属する報道機関が評価するものだからだ」と説明した。

 米人権・報道団体「フリーダムハウス」で報道の自由度の格付けを担当するカリン・カールレーカル部長(42)も、「米英でもこの数カ月に『イスラム国』に人質を殺害されたが、日本政府の取った対応は世界的に見ても極めて異例だ」と指摘。その上で「政府は(国民を)人質に取られたくないだろうが、それでも記者が行くという場合の最後の命の決断は記者がするものだ」と述べ、政府の強力な関与に疑問を呈した。

 ただ人質に取られた場合の政府の役割について、アルゴン氏は「安全に解放するため必要な措置を取る責任がある」との立場。一方のカールレーカル氏は「必ずしも責任があるわけではない」と意見が分かれた。

 米CNNテレビは、東京電で「ジャーナリスト杉本氏は、権利が侵害されたと述べた」と報道。米インターナショナル・ビジネス・タイムズは、コーネル大のアナリーズ・ライルズ教授の「言論の自由を保障する憲法と現実との間には相違がある。だが日本の裁判所は、政府と異なる解釈をすることには消極的だ」との独自の見方を掲載している。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015021102000146.html

「日本の裁判所は、政府と異なる解釈をすることには消極的だ」というのは「独自の見方」というよりも定説に近いと思っていたのだけれど、違うのか。

上からの圧力を警戒するのは当然なのだが、それは民間の積極分子による煽り*5や大手メディアによる自己責任の否認*6も重大な脅威であるといえるだろう。
『弁護士ドットコム』の記事;

マスメディアに広がる政権批判「自粛」の空気に抵抗する〜言論人たちが声明(全文)


中東の過激派組織「イスラム国(ISIS)」による日本人人質事件が発生して以降、政権への批判を「自粛」する空気が日本社会やマスメディア、国会議員に広がっているとして、作家や学者、ジャーナリスト、映画監督、音楽家など、表現活動にたずさわる人たちが2月9日、「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」を発表した。

声明には、映画作家想田和弘さんや社会学者の宮台真司さん、憲法学者小林節さん、元経産官僚の古賀茂明さんのほか、音楽家坂本龍一さんや映画監督の是枝裕和さん、作家の平野啓一郎さんや馳星周さんら、多くの言論人や表現者が名を連ねている。その数は1000人以上にのぼるという。

声明は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めた憲法21条を引用しながら、「私たちは、この日本国憲法の精神を支持し尊重する。そしてこの精神は、『非常時』であるときにこそ、手厚く守られ、尊重されなければならないと考えている。なぜなら、『非常時』にこそ、問題の解決のためには、様々な発想や見方、考え方が必要とされるからである」と記している。

そのうえで、「私たち言論・表現活動に携わる者は、政権批判の『自粛』という悪しき流れに身を ゆだねず、この流れを堰き止めようと考える。誰が、どの党が政権を担おうと、自身の良心にのみ従い、批判すべきだと感じ、考えることがあれば、今後も、臆さずに書 き、話し、描くことを宣言する」と述べている。

言論人たちの声明の全文は、次の通り。
●翼賛体制の構築に抗する 言論人、報道人、表現者の声明  


私たちは、[ISIL]と称する組織・集団による卑劣極まりない邦人人質惨殺事件を 強く非難し、抗議するものである。また、この憎しみと暴力の連鎖の帰結として起きた事件が、さらなる憎しみや暴力の引き金となることを恐れている。  

同時に、事件発生以来、現政権の施策・行動を批判することを自粛する空気が国会議員、マスメディアから日本社会までをも支配しつつあることに、重大な危惧を覚えざるを得ない。

「人命尊重を第一に考えるなら、政権の足を引っ張るような行為はしてはならない」

「いま政権を批判すれば、テロリストを利するだけ」

「このような非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」  

そのような理屈で、政権批判を非難する声も聞こえる。

だが、こうした理屈には重大な問題が潜んでいる。  

まず、実際の日本政府の行動や施策が、必ずしも人質の解放に寄与するものとは限 らず、人質の命を危うくすることすらあり得るということだ。であるならば、政府の行動や施策は、主権者や国会議員(立法府)やマスメディアによって常に監視・精査・検証され、批判されるべき事があれば批判されるのは当然の事であろう。  

また、「非常時」であることを理由に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めてしまうなら、原発事故や大震災などを含めあらゆる「非常時」に政権批判をすることができなくなってしまう。たとえば、日本が他国と交戦状態に入ったときなどにも、 「今、政権を批判すれば、敵を利するだけ」「非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」という理屈を認めざるを得なくなり、結果的に「翼賛体制」の構築に寄与することになるだろう。  

しかし、そうなってしまっては、他国を侵略し日本を焼け野原にした戦時体制とまったく同じではないか? 70数年前もこうして「物言えぬ空気」が作られ、私たちの国は破滅へ向かったのではなかったか? 

実際、テレビで政権批判をすると、発言者や局に対してネットなどを通じて「糾弾」の動きが起こり、現場の人々に圧力がかかっている。  

問題なのは、政権批判を自粛ないし非難する人々に、自らがすでに「翼賛体制」の一部になりつつあるとの自覚が薄いようにみえることである。彼らは自らの行動を「常識的」で「大人」の対応だと信じているようだが、本当にそうであろうか?私た ちは、今こそ想像力を働かせ、歴史を振り返り、過去と未来に照らし合わせて自らの行動を検証し直す必要があるのではないだろうか?

日本国憲法第21条には、次のように記されている。 

「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」  

日本国憲法第12条には、次のようにも記されている。  

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」  

私たちは、この日本国憲法の精神を支持し尊重する。そしてこの精神は、「非常時」であるときにこそ、手厚く守られ尊重されなければならないと考えている。  

なぜなら「非常時」にこそ、問題の解決のためには、様々な発想や見方、考え方が必要とされるからである。  

私たち言論・表現活動に携わる者は、政権批判の「自粛」という悪しき流れに身をゆだねず、この流れを堰き止めようと考える。誰が、どの党が政権を担おうと、自身の良心にのみ従い、批判すべきだと感じ、考えることがあれば、今後も、臆さずに書き、話し、描くことを宣言する。

2015年2月9日
http://www.bengo4.com/topics/2654/

See also
斉藤佑介「「政権批判の自粛、社会に広がっている」1200人声明」http://www.asahi.com/articles/ASH295SB8H29UTIL039.html