ピノチェト亡命計画

Jonathan Franklin “US considered offering asylum to Chilean dictator Augusto Pinochet” http://www.theguardian.com/world/2014/sep/11/augusto-pinochet-asylum-united-states-ronald-reagan


1986年、チリのピノチェト*1軍事独裁政権に対する反政府運動が激化していたが、当時の米国レーガン政権は、本格的な内戦になることを懸念し、ピノチェトを退陣させる代わりに米国に亡命させることを検討していた。チリの反体制運動の情況を視察した米軍のJohn Galvin将軍は同時に、キューバ政府からチリ共産党武装部門(FPMR=Frente Patriótico Manuel Rodríguez)に大量の武器が送られたという情報をチリ政府に伝えたとされている。その甲斐あってか(?)、武器の多くはチリ北岸に水揚げされた途端、ピノチェト側に押収されてしまった。米国にプッシュされたピノチェトのクーデタは世界最初の新自由主義革命といえるが、1986年頃には、既に米国政府首脳部は(Peter Kornbluh*2の言葉で言えば)ピノチェトを「資産(asset)」ではなく「負債(liability)」と見做すようになっていた。あのような独裁者がいると共産化のリスクが高まる。
1986年というと、ガルシア・マルケスルポルタージュ戒厳令下チリ潜入記――ある映画監督の冒険――』の日本語訳が刊行され、この本の主人公であるミゲル・リティンが来日し、翌年に『武器としての映画』という山田洋次との対談本が岩波ブックレットで出ている。

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

ところで、今週の月曜日、サンティアゴの地下鉄で爆発事件が起こっているが、現時点で誰も犯行声明を出しておらず、極右の仕業だいう人もいれば極左の仕業だという人もいる。