アウトドアがない!

地域格差は、娯楽の格差/なぜ東北の人々はパチンコに並ぶのか」http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120207/1328625768


この方のエントリーは以前何度か取り上げたことがある*1
さて、


ザ・特集:東日本大震災 被災地でパチンコ店がはやるワケ

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120202ddm013040009000c.html



震災後、被災地のパチンコ屋が売上を伸ばしているという。大災害の被災者がギャンブル依存症アルコール依存症になるのはよくあることだそうだ。家族を失い、仮設住宅に移り住んでからは周囲に知り合いもおらず、やることもない。ヒマつぶしとしてパチンコ屋を訪れて、ずぶずぶとハマっていくのだという。そして復興財源として分配された私たちの税金が、全自動銀玉入れ機に消えていくのだ。

東京出身・京都在住の私には、このニュースがにわかには信じられない。

たしかに東京にも京都にもパチンコ屋はあるし、同級生の親にはギャンブルで身を持ち崩した人もいる。パチンコが射幸心を強烈に煽る遊びだということも知っているつもりだ。



旧世代ゲーム企画屋が、携帯ソーシャルゲーム遊ぶと何を思うか。

http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-2153.html

※中盤のパチンコに関する分析が興味深い。「強烈なモチベーション」を伴った「連続くじ引き」である点が、パチンコが中毒的な面白さを作りだす要因だと指摘なさっている。



しかし、それでも「ヒマだから」という理由だけでパチンコ屋に並ぶという心理が、私にはイマイチ解らない。すこしでも空いた時間があれば文章を書いていたい――というのは異常な例だとしても、たとえばポータブルゲームをやり込むだとかボードゲームをするだとか、あるいは読書でもいい。時間のつぶし方なんていくらでもあるではないか。

なぜ、よりによってパチンコなのだろう。


娯楽には、ひどい地域格差がある。所得格差よりもはるかに大きな格差だ。私も新入社員研修で大分県に行った時、娯楽の少なさに辟易した。テレビに映るチャンネルは片手で数えられるほどで、書店に立ち寄っても欲しい雑誌も文庫本も手に入らない。カラオケ屋もボーリング場も、自動車で小一時間はかかる。amazonを使うほどの長期滞在ではなかった。あの時の唯一の娯楽は、あぜ道の生物相の観察だけだった。

そんな文化的に痩せた土地に、パチンコ店がやってきたら――。

東京や大阪、名だたる大都市で数え切れないほどの娯楽と競合し、勝ち残ってきたエンターテインメントだ。パチンコはいわば娯楽界のスーパーエリート。そんな「めっちゃ面白い遊び」が、それまでろくな娯楽のなかった地域にある日突然やってくるのだ。郊外型のビジネスとして最適だからという理由で。

パチンコ中毒になるな、というほうが無理だ。

娯楽には地域格差がある。地方では娯楽の多様性がきわめて低く、大都市の住民には想像できないほどだ。人口密集地の仙台ですら、テレビはNHK総合・教育に民放4局しか入らない(んですよね?)。一方、東京にはキー局がすべて集まり、場所によってはテレビ埼玉テレビ神奈川まで受像できる。この放送格差は娯楽格差の端的な例だ。秋葉原のようなメイド喫茶やアイドルカフェはもちろん無いし、カラオケやボーリング場も数が限られる。出版物も充分に配本されない。

こうした娯楽格差が地方都市の「文化の砂漠化」を招き、地方在住者における無趣味な人の率を高める。そして震災のような大災害があった場合に、被災者をギャンブル依存症に陥れる潜在的なリスクとなるのだ。

「娯楽格差」というのはその通りなのだろう。これはこの人だけでなく、多くの人が実感したり論じたりしている。しかし、ここで挙げられている「娯楽」というのは全てインドア系である。アウトドア系は無視されている。ゴルフ、テニス、スキー、釣り、サーフィン、狩猟、寺社参拝といったアウトドア系の娯楽を考慮すると、「地域格差」はどうなるのだろうか。
さて文部科学省の「全国体力テスト」で、東北地方の子どもには(311以前よりも)「体力」の低下が見られるという。この低下と放射線リスクによる野外活動の制限が関係あるということは容易に推測できる。大人だって、311以後、アウトドアの遊びを控えている人は少なからずいるのではないか。
文化の「地域格差」に関してはhttp://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20110814も参照のこと。皮肉なことにこれはRootport氏の論*2を批判したものだったのだ。