『マルセル・モースの世界』

マルセル・モースの世界 (平凡社新書)

マルセル・モースの世界 (平凡社新書)

モース研究会『マルセル・モースの世界』(平凡社新書、2011)*1を読了したのは先週のこと。


第I部 快活な社会主義人類学者の肖像
第1章 民族誌 知の魔法使いとその弟子(渡辺公三
第2章 社会 モース人類学あるいは幸福への意志(渡辺公三


第II部 起点としてのモース
第1章 フィールド レヴィ=ストロースからさかのぼる――自然・都市・協同組合(渡辺公三
第2章 文献学 『供犠論』とインド学――もう一人の叔父シルヴァン・レヴィ(高島淳)
第3章 呪術 一八九九年のモース――『供犠論』と「社会主義的行動」(溝口大助)
第4章 宗教 コトバとモノ――モース宗教社会学の基本要素(関一敏)
第5章 政治 未完のナシオン論――モースと〈生〉(真島一郎)
第6章 経済 交換、所有、生産――『贈与論』と同時代の経済思想(佐久間寛)
第7章 芸術 全体的な芸術は社会事象である――民族音楽学者シェフネル(昼間賢)


あとがき

モース関連名鑑
モース関連略年表
参照文献

マルセル・モースを主題的に扱った日本語の単行本はとても少ないと言える*2。このような言説状況の中で、モースの社会学や人類学への貢献だけでなく、その政治思想/活動を含む全体像を紹介せんとする本書の出現は(新書という制約による論述・記述における〈いまいち〉感はあるにせよ)劃期的であるといえるだろう。
第i部1章では、マルセル・モースの弟子でもある岡本太郎*3民族誌的活動としての写真を通して、モースの民族誌学が語られる。第I部2章ではモースの生涯が概観される。渡辺氏曰く、「おそらくモースからレヴィ=ストロースを経てドゥルーズへと継承される、希望への意志としてのフランス現代思想の流れをたどることもできるのではないかと筆者は考えている」(p.58)。第II部1章ではモースとレヴィ=ストロースが対比される。鍵言葉は「都市」と「自然」。曰く、「モースが踏みとどまった「都市」を出て、レヴィ=ストロースサンパウロからブラジルの辺境の野生の自然のさなかに生きる人々に向かったとき、おそらくは人類学はモース的な「よりよき人為主義」の探究ではない何かを志向したのではないだろうか」(p.87)。「モースに学びつつレヴィ=ストロースが目指すことになった構造主義とは、技術論の視点からではなく、自然の側へつねに回帰しながら自然を対象化しつつ生きるという見方ではないだろうか」(p.88)。第II部2章ではモースの印度学の師であるシルヴァン・レヴィとの関わりが採り上げられる。第II部3章では1899年に発表された『供犠論』と「社会主義的行動」が採り上げられる。『供犠論』を契機にして、デュルケーム学派(「社会学年報学派」)は「供犠論的転換を迎える」(p.117)。またモースは1899年以降宗教論と社会主義論を並行的に思考していくことになる。後半では、モースの宗教論と社会主義論を繋ぐものとしての「呪詛」が採り上げられる。第II部4章では、モースの仕事が「社会的次元を強調するあまり、個人対社会といった袋小路的二分法におちいったデュルケム的アポリアを、民族誌的質感をもってあらかじめほぐす試み」であることが指摘され(p.154)、モースにおいては社会と個人の「中間項」としての「モノ」が重視されているという(p.155)。第II部5章で採り上げられるのは未完の大作『ナシオン』。真島氏曰く、「自律した経済主体による私的所有の原則は保持しつつも「主体の自足性」なるものを「人間の交換する本性」にもとづき否認する社会主義者民族学者とはまた、ナシオンの独立を擁護しつつもその自足性をおなじ回路により遮断する国民化論者・平和主義者でもあった」(p.172)。第II部6章で主に採り上げられるのは『贈与論』と彼の経済思想である。『贈与論』において、モースは「特殊西欧近代的な経済像、とりわけ交換像と所有像を相対化」するとともに、「経済と市場を同一視する思想や社会変革と経済変革を同一視する思想に抗しつつ、新たな社会主義像をうち立てようとしていた」(p.183)。しかし「時代はモースに非西欧世界の専門家という役割を与えた。人類学の祖という栄誉を与えるかわりに、社会主義を分析する社会学者としての彼や、実践的社会主義者としての彼を切りすてた」(p.208)。なおこの章のもうひとりの主役はモースの先駆者としてのブロニスワフ・マリノフスキ*4だろう。第II部7章では先ずモースの「全体的社会事象」概念が検討され、後半ではモースの教えを受けた音楽学アンドレ・シェフネルの『ジャズ』論が紹介されている。
社会学と人類学 (1)

社会学と人類学 (1)

各章からの細かい抜書きは別に行うつもりだが、ここでは、2つのパッセージを引用しておきたい。

(前略)モースが生きた時代は第三共和制(一八七〇―一九四〇)の時代であり、それが共和国原理の確立と植民地主義の展開が同時に進行した時代だったことは、いまや明らかである。前者によって、封建的な政治勢力からも宗教的な教会権力からも独立した「社会」という公共圏における、宗教社会学(狭い意味でのモースの専門分野)の研究が許されただったし、後者なしには、それ以前から蓄積されていた文献にしたがって、たとえば新たな調査旅行に出ることなど不可能だったはずだ。また学術的な観点からは、モースの業績がエミール・デュルケムの業績なしにはありえなかったことを忘れてはならない。今日再評価が進んでいるモースは、人類学者としてのモースだが、その没年に刊行され今日まで版を重ねている主著――有名な『贈与論』はそれに収録されている――が『社会学と人類学』と題されているように、モースは、第一次大戦中に病没したでデュルケムの学的遺産を継承すべき、特にデュルケムが心血を注いだ研究誌『社会学年報』を統率すべき社会学者でもあった。(略)「全体的社会事象」は、モース独自の概念とみなされることが多いが、多少詳しく調べれば、デュルケムの体系的な社会学から導き出されたものであることがわかる。
こうした事柄を確認したうえで、モースの業績の、いや、当時から今日に至る、マルセル・モースという巨大な生命体の特徴を一つ挙げるならば、それは、人類学(当時は民族学と呼ばれていた)または社会学の研究者にとどまらず、他の分野の研究者たちにも多大な影響を与えたことだと思われる。たとえば、作家であり民族誌家でもあったミシェル・レリス、哲学的な文明評論で知られるロジェ・カイヨワ、考古学者・技術史家のアンドレ・ルロワ・グーラン民族音楽学・芸術学のアンドレ・シェフネル、そして得意な思想家ジョルジュ・バタイユなどは、モースの薫陶を受けた「フランス人文学の一世代」(竹沢 二〇〇一*5:二〇九)だったのである。デュルケムの影響を公言する作家や芸術家は見当たらないが、モースの影響なら、たとえばジョルジュ・ペレックがそうである。岡本太郎がそうである、というように、何人かの重要な名前が挙げられる。また近年では、芸術的パフォーマンスと非制度的政治活動が接近するなかで、デヴィッド・グレーバーが『贈与論』を援用しつつ「アナーキスト人類学」を展開している*6。(後略)(「全体的な芸術は社会事象である――民族音楽学者シェフネル」、 pp.215-217)

「社会」を考えるということは、「今」「ここ」で、共に生きる者として、どのような関係をつくりだすことができるのかを問い、問いを呈して生きることにほかならない。ある与えられた「場」において共に生きるのであるかぎり、われわれの関係は空間に配置された物の間で展開し、物を作りだし、物の配置を変え、物の響きを聞き、物に触れ、あるいは物を消費しつつおこなわれる。その空間が市民社会と呼ばれる社会空間以外の何物でもありえないのか、物は商品として市場に流通する物以外のものではありえないのかは、あらためて問われてしかるべきだろう。
市場原理で貫徹された市民社会が、市場原理とは独立した税制あるいは年金制度に支えられた福祉体系によって補完される、という社会のありようは、二〇世紀の末葉から現在にいたるこの数十年のあいだに大きく揺らぎ始めている。いわゆる高齢化によって、「市民」の主要な部分は退縮するいっぽう、若い人びとすら、市民としての定常的な職業を保障されないことがある程度常態と化してきている。そうした現在の歴史的文脈において、社会関係を社会学的「連帯」概念の問い直しを通じて再構築する試み(重田園江『連帯の哲学I――フランス社会連帯主義』勁草書房、二〇一〇)や、アナーキズムの視点から(デヴィッド・グレーバー『資本主義後の世界のために』高祖岩三郎訳・構成、以文社、二〇〇九)ヴィジョンを模索する試みのなかで、重要な参照点としてモースの仕事が位置づけられている。また、フランスにおいて一九八〇年代からまさにモースの名を冠してMAUSS(Mouvement Anti-Utilitaliste dans les Sciences Sociales. 社会科学における反・功利主義運動)という研究運動体がすでに三〇年にわたって社会科学、とりわけ政治経済学の批判を展開してきた。そのリーダーであるアラン・カイエの著作のひとつの邦訳が刊行されたばかりでもある(『功利主義的理性批判』藤岡俊博訳、以文社、二〇一一)*7。これらの本は、最近の世界のいたるところで試みられているモース再読のわずかな例証にすぎない。これらの再読は、一九五〇年のモースの没後、『著作集(Oeuvres)』(全三巻)の編集刊行を含めて何度かあたモース再評価(著作集による業績の再確認、構造主義の先駆者としてあまりに固定されすぎたモース像の描きなおしの試み等)の大きなうねりや小さな波とは、その深さにおいて大きく様相を変えてきているように思える。
膨大で豊饒な民族誌の海を旅してえた、市民社会とは別の社会の夢、まさに福祉国家のとば口で透視者モースが描いた別の社会の夢を携えて、彼はわれわれを迎えるために待機していたかのようだ。(「あとがき」、pp.251-253)

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111230/1325265598

*2:この本の「参照文献」ではモースを主題とした日本語の単行本は1冊も挙げられていない。

*3:モースと岡本太郎についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110506/1304660209でもちょこっと言及した。

*4:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091214/1260817819 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100518/1274146122 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101004/1286217034

*5:『表象の植民地帝国』世界思想社

*6:See eg. THOMAS MEANEY “Anarchist Anthropology” http://www.nytimes.com/2011/12/11/books/review/anarchist-anthropology.html also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111223/1324606625

*7:See 西谷修「アラン・カイエ『功利的理性批判』」http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/gsl/2011/01/post_53.html