早川語録

承前*1

早川由紀夫教授ツイートの 問題について/Skeptic's Wikihttp://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/df8585e06195e80d2a8a93b1197265a4


See also http://skepticswiki-jp.org/wiki.cgi?page=%C1%E1%C0%EE%CD%B3%B5%AA%C9%D7%A1%A1%A1%CA%C5%EC%C6%FC%CB%DC%C2%E7%BF%CC%BA%D2%A1%CB

まさに〈早川語録〉。赤いポケット・ブックになるのだろうか。
ざっと目を通してみて、古寺多見氏の


一連の早川のTweetについて、早川が本当に主張したいことは、放射性物質の拡散を止めろということであり、それ自体は正論だとする反論がある。しかし、それなら福島の農家に対する非難を強調することは逆効果であり、早川の主張が世論の支持を得て多数派を形成する可能性がほとんどない以上、早川は結果的に「脱原発」、「反原発」を妨害しているとしかいえない。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20111210/1323485652
という指摘には頷かざるを得ない。
ところで、少し前に放射能で汚染された瓦礫を東京で引き受けるべきかどうかという論争があった;


http://2011shinsai.info/node/919
http://alt-movements.org/no_more_capitalism/modules/no_more_cap_blog/details.php?bid=141
http://tu-ta.at.webry.info/201111/article_4.html
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20111119/p1
http://tu-ta.at.webry.info/201111/article_6.html



例えば、昨日、池辺幸惠さん @ike_yukichan の以下のツイートを読んだ。
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除染なんてたかがしれてる。森と畑の福島を殺したのは誰?森の葉一枚一枚の除染はできない雨で風でバラまかれる。30年間50兆円の除染なんて無駄金またまた利権がらみ。そんなのやめようよ!そのお金で福島原発周囲の避難したい人たちの土地を妥当な値段で買い上げて、放射能瓦礫処分地にしよう。
2011.11.19 10:57
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すごい善意で書かれているのだろうし、避難したい人にはすぐにでも避難させてあげたいと思いつつも、これにかなり違和感を感じて、以下のレスポンスを書いた。
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「除染なんてたかがしれてる。森と畑の福島を殺したのは誰?」というのは確かに正論だと思うのですが、故郷を思う人の心の襞みたいなものもちゃんと見ていく必要があるのだと思います。  2011.11.19 11:04
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http://tu-ta.at.webry.info/201111/article_6.html
早川の場合もそうなのだが、私たちにとっての生きられた世界(土地、家等々)は無機質な数値に還元して透明化できるものではなく、(個人史、家族史、社会史が錯綜した)歴史性の澱、即ち意味及び意味可能体が常に/既に沈澱し・こびりついているものだということが等閑視されているのではないか。経済学者たちの議論に違和感を感じるのもこのことと関係がある。そもそも経済学理論は現実の澱を捨象して構築されているわけだから、理論の準位ではまあ納得できても、それを具体性・現実性の準位に下ろした場合には話は簡単ではなくなる。澱のないところでは〈動物的生存〉はありえても〈人間的生活〉は成立し得ないともいえるのだが、問題はそのような違和に敏感な人の多くは感傷的な表現しかできていないということだろう。そうすると、(例えば)早川に対しても(政治性を加味した)道徳的なお説教に止まって、根柢的な批判はできないことになってしまう。つまり、求められているのはこの問題を巡る哲学的洗練なのだろう。