今週は殆どネットから遠ざかっていて、当然ながら世の中のニュースからも遠ざかっていた。
その間に立川談志師匠が亡くなったんだね。
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破天荒人生75年…落語家・立川談志さん死去
スポニチアネックス 11月24日(木)7時1分配信
古典落語の名手で、型破りな生き方も人気だった立川談志(たてかわ・だんし、本名松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日午後2時24分、喉頭がんのため都内の病院で死去した。75歳だった。東京都出身。08年に発症したがんが昨年11月に再発、高座復帰を目指したが力尽きた。83年に設立した落語立川流の家元として立川志の輔(57)、立川談春(45)らを育て上げた名伯楽でもあった。告別式は近親者で済ませ、後日お別れの会が開かれる。喪主は妻則子(のりこ)さん。
所属事務所の社長で長男の松岡慎太郎氏(45)と元タレントの長女・弓子さん(48)が23日夜、都内のホテルで会見。昨年11月に喉頭がんが再発した際、医師から「2、3カ月しか生きられない」と余命宣告を受け、手術を勧められていたことを明かした。
それでも談志さんは「声を失いたくない」と声帯摘出手術を拒否して高座復帰にこだわった。川崎市麻生文化センターで3月6日に行われた一門会では「蜘蛛駕籠(くもかご)」を演じ、これが最後の高座となってしまった。
この高座を終えたあとに気管の切開手術。すき間から漏れる声で医師に「私の声を返してください」と迫ったこともあったが、それから声がほとんど出なくなり、家族とも筆談でのやりとりになった。病状は一進一退を繰り返したが、10月27日に容体が急変。一時は心肺停止状態になった。それからの3週間は意識が戻ることはなかったという。
慎太郎氏は「本人は立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)と戒名を考えていましたが、遺言はありません。ただ“葬儀はしないでくれ。お経もあげないでくれ。骨は海にまいてくれ”と言われました」と声を震わせた。
一門の弟子たちにも深刻な病状は伏せてきたそうで、夏に談志さん行きつけの店で会食したのが別れの席となった。慎太郎氏は「39度の高熱があったが、注射で下げ、弟子たちとの再会がとてもうれしそうだった」と振り返った。この日午後3時から都内の斎場で家族葬を営み、紋付きはかまの高座着に扇子を持たせて納棺。ヘアバンドとお気に入りのぬいぐるみも納めて荼毘(だび)に付した。
◆立川 談志(たてかわ・だんし)1936年(昭11)1月2日、東京・小石川生まれ。52年、五代目柳家小さんに入門し、柳家小よし。63年に五代目談志を襲名し、真打ちに昇進。66年、日本テレビ系「笑点」の初代司会に。古典落語の名手として知られる一方、歯に衣(きぬ)着せぬ毒舌で人気者となった。71年には参院議員を1期務めた。83年、真打ち制度などで幹部と対立し落語協会を脱退。立川流を創設し家元になった。97年の独演会で早期の食道がんを公表。08年以降は喉頭がん、糖尿病を患い長期休養に入っていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111124-00000034-spnannex-ent