「粗い」といえば、など

承前*1

http://d.hatena.ne.jp/anutpanna/20110522/p1


真魚八重子さん*2による『ブラック・スワン』評。曰く、


ブラック・スワン』のクライマックスは初日の舞台です。その最中も妄想が現実を侵食していくので、ニナは自分の座を奪いそうな、黒鳥にふさわしい欲望への率直さを持ったライバルのリリーを、もみ合いのすえ刺し殺してしまいます。しかし次の場面では不意にリリーがニナの前に謙虚な笑みとともに現れて、驚愕したニナがリリーの死体を確認すると消えており、妄想だったと発覚するなど、ニナの混乱が映画のめまぐるしさとなります。プレッシャーで狂っていくニナの秒刻みな苦しみ――本番中に混乱してバランスを崩し転んでしまい、失意のどん底でメソメソし、その果てにあれだけ苦しんだ黒鳥の魔性がようやく本番中に開花する喜びと、すぐさまそれをしのぐ不安が襲ってきてまたもや狂乱に陥る、そのせめぎあいがあまりに苛烈で本当にかわいそうです。

だから、殺したと思ったリリーをじつは殺していなかったという安堵が成立するならば、ラストも選びようがあったと思うのです。『レクイエム・フォー・ドリーム』や『レスラー』で悲劇を描いてきたアロノフスキーのフィルモグラフィーとしても、この辺りで救済を描くこともできるという表明の選択もあったはず。特に本作のような、死体を消したりもできるような狂乱の具現化である映画なら、ストーリーの運びやそんなラストの転換も比較的やり易かったと思う。

わたしは『ブラック・スワン』を、そういった監督のさじ加減で成り立っているという、これは「ただの映画で作り物にすぎない」という当たり前のことを如実に感じさせながらも、「こんなに苦しんだのだから、ニナに最後は救済を与えてあげてほしい」と、素直に願えるような珍しい映画であると思います。勿論映画の物語にはひとつしか回答はない。作り手が最終的に選択したカットのみが答えだと、わたしは思っています。(なのでDVDの特典で別バージョンのエンディングが収録されていたりするのは、論外中の論外の、真の邪道だと思う)。本作のクライマックスは素晴らしい高まりがあるけれども、あのラストカット、あのオチに着地しないとバレリーナの完全な物語の昇華は、成立しなかったんでしょうか。

この映画の眼目は、ニナ(ナタリー・ポートマン)にとっての主観的妄想と客観的現実の区別が崩れ決定不能になるという経験に観客をとことん付き合わせるということなのではないかとも思った。観ている方も、今自分が眼にしているのが映画という〈限定された意味領域〉における現実なのかそれともニナによる妄想なのかが決定不能になってしまう。この映画に対する最もラディカルな解釈は全てが彼女の妄想というものだろう。これに従えば、ライヴァルとされるリリーも母親も(映画的に)実在せず、どちらもニナに自虐的な快楽を提供するためのフィクショナルな人物ということになる。さてどうなのだろうか。
さて、〈母‐娘の葛藤〉ということで、『ブラック・スワン』と(スティーヴン・キングブライアン・デ・パルマの)『キャリー』との類似性が指摘されているが、これは思いつかなかった。というか、『ブラック・スワン』ではヒロインが白/黒という両義性を引き受けていると同時に、その母親も(ヒロインにとっての)敵であるとともに自我理想(ego ideal)であるという両義性を有しているけれど、『キャリー』の場合、キャリー本人にもその母親にもそのような両義性はない。
キャリー (新潮文庫)

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また、Darren Aronofskyの『レスラー』*3及び『ブラック・スワン』の画質が「粗い」ことが指摘されている。鈍感なためか、それほど俺は「粗」さが気にならなかったのだが(orz)、画質が「粗い」ということで強烈な印象を残している映画といえば、『靖国』の李纓のデビュー作『2H』。1902年に生まれ1998年に息を引き取った、つまり20世紀を丸ごと生きたことになる馬晋三という中国人の老人の人生最後の1年が途中にフィクションを挿入しながら粒子の粗い白黒の映像で写し出される。馬晋三は雲南省下関*4生まれで*5、日本の陸軍士官学校に留学し、日中戦争では中国側の将軍として雲南ビルマ戦線で活躍し、1950年代に香港を経て日本に定住し、日本定住後は書道家として活動していた*6。映画の中ではそのような彼の過去の経歴は殆ど明かされず、「粗い」白黒の画面に写し出されていたのはただの頑固な爺であった。却ってそれが凄いと思った。
レスラー スペシャル・エディション [DVD]

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靖国 YASUKUNI [DVD]

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2H(ニエイチ) [DVD]

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「ミズラモグラ」さんが『ダンシング・チャップリン』を採り上げている*7。また、住吉智恵「映画『ブラック・スワン』と映画『ダンシング・チャップリン』」(『intoxicate』91、pp.8-9)という記事では2本まとめて紹介されている。『ダンシング・チャップリン』も〈観たい映画〉リストに加えておこう。