「100年経って」

承前*1

玄孫引きということになるのだろう。
http://www.yochomachi.com/2011/04/blog-post.htmlに引用されたhttp://trust.watsystems.net/matuo/matuo3.htmlに引用された内橋克人原発への警鐘』に引かれた当時福井県敦賀市長だった高木孝一の1983年1月26日に石川県羽咋郡志賀町行われた講演の一節を読んで、その〈いま・ここ〉への開き直りっぷりは、これはひどい! と憤るよりも先に、ただただ凄ぇ! と思ってしまう。「えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50後(sic.)に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ」。100年後とはいわなくても、〈未来〉に対する想像力なしで倫理が可能なのかどうかということはよく考えてみる必要があるだろう。