日本に着く

9時55分浦東空港発の中国国際航空便に乗り、13時半頃成田に到着。実家は3月の地震で、壁や風呂場のタイルに亀裂が走り、屋根瓦がずれて、屋根には青いシートが被せてある。壁については現在職人が来て壁を塗り替えているのだが、屋根職人は6月末まで空きがないのだという。関東大震災を知らない親は、東京大空襲以来の怖さだと言っていた。私の書斎も廃墟と化しており、家に着いて先ずしなければいけないことは散乱した本の整理であった。ただ、散らばった本には昔読んだ本もあれば読まないで積んであった本もあるのだが、どうも本のタイトルを見てしまうと、それに気を取られてしまう。例えば、佐和隆光、新藤宗幸編『90年代の選択 世界と日本を読む』(岩波書店、1991)。これは元々1990年から1991年にかけて『世界』に連載された対談集で、1980年代を総括し、1990年代を予測・展望するという主旨の本なのだけれど、これを2011年に読むというのは如何なる意味があるのか。また、新藤悦子『羊飼いの口笛が聴こえる 遊牧民の世界』(朝日新聞社、1990)。これも読んでいなかったのだが、今回の地震で崩れて、再発見した本。最近の私の「遊牧民」への関心*1から言っても読むべき本ではあろう。また、高木仁三郎原発事故はなぜくりかえすのか』も埋もれていた。これは著者が死去した翌々月に刊行された本だが、「原子力村」に関する知識社会学的試論としても読めるのかも知れない*2。最近焼肉屋のユッケを食べて食中毒になり死んだ人も出たようなのだが、そこから(この本のモティーフにもなっている)東海村のJCOウラン加工施設で、「バケツでウラン溶剤を扱」って引き起こされた臨界事故のことを想起した人はいるのかどうか。また、「技術」の孕む「公共性」を論じた第4章「個人の中に見る「公」のなさ」は政治哲学的にも興味深いか。

90年代の選択―世界と日本をよむ

90年代の選択―世界と日本をよむ

羊飼いの口笛が聴こえる―遊牧民の世界

羊飼いの口笛が聴こえる―遊牧民の世界

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

書斎の片づけも終わっていないが、夜になって、雨の中、散歩に出かけ、近所のブックオフに行って、古本を買う。


伊藤公雄、牟田和恵編『ジェンダーで学ぶ社会学世界思想社、1998

ジェンダーで学ぶ社会学

ジェンダーで学ぶ社会学

宮崎義一『国民経済の黄昏 「複合不況」その後』朝日新聞社、1995
国民経済の黄昏―「複合不況」その後 (朝日選書)

国民経済の黄昏―「複合不況」その後 (朝日選書)

川上弘美『真鶴』文春文庫、2009
真鶴 (文春文庫)

真鶴 (文春文庫)

小池昌代『タタド』新潮文庫、2010
タタド (新潮文庫)

タタド (新潮文庫)

小林英夫『満州自民党新潮新書、2005
満州と自民党 (新潮新書)

満州と自民党 (新潮新書)

長谷部恭男、杉田敦『これが憲法だ!』朝日新書、2006
これが憲法だ! (朝日新書)

これが憲法だ! (朝日新書)

水野直樹『創氏改名――日本の朝鮮支配の中で』岩波新書、2008
創氏改名―日本の朝鮮支配の中で (岩波新書 新赤版 1118)

創氏改名―日本の朝鮮支配の中で (岩波新書 新赤版 1118)

それから、京成電車の中で、麻生晴一郎『反日、暴動、バブル』を読了。

反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国 (光文社新書)

反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国 (光文社新書)