張恩利そして『其他房間』

民生現代美術館*1に張恩利の個展を観に行く。張恩利は吉林省生まれで上海在住の画家*2。この個展ではだだっぴろい部屋に、鬱蒼とした森を下から見上げる構図の、木の枝葉の間から空が覗いている油絵が12点展示されている。勿論色使いは(時間や季節の変化によって)様々だし、空の表情も微妙に変化している。張恩利自身は、これらの作品は”virtual versus real”を表しているという。空がvirtualで枝葉がreal。或いは有と「無」 *3。ただ、私は枝葉の手前にある豊かな暗さと空の不透明な明るさの対比を感じて、或る種の幸福感を味わっていた*4
同時に開催されていたのは、Phillippe PirotteがキューレイトするOther Rooms。Martin Creed、Peter Fischi & David Weiss、Adrian Piper、Dara Garciaによる「部屋」を主題とした映像作品とインスタレーション。Phillippe Pirotteは張恩利の個展と同時開催ということを意識しているようだが、張恩利の空にはOther Roomsへの通路という意味もあるわけだ。実際、張恩利の展示からOther Roomsへ移動するには、ところどころ剥げた白いペンキが塗られた空虚な「別の部屋」を通過しなければならなかった。Other Roomsで印象に残ったのは、Peter Fischi & David Weissの短編映画”Der Lauf der Dinge”。工作少年的な想像力と素材を使って、〈連鎖反応〉ということを表現する。現存する実体たちは無数の〈連鎖反応〉の効果であり、そのステップであるにすぎない。また、Adrian Piperの”Bach Whistled”。何もない真っ白な部屋に彼女がかつて演奏した口笛によるバッハの協奏曲が45分間に亙って流れ続ける。

民生現代美術館の隣りの「視平線藝術(Eyelevel Art)」*5でやっていたのは、郭利偉の個展『楽水楽山』*6。アクリル絵具による山水画。カラー写真のネガを見ているような不思議な気分になる。或いは、東洋美術を特徴付ける〈余白〉という概念への反逆? それから、一部の作品には人物が描かれている。アクリル絵具によって封じ込められた絵の世界から逃げようともがいているのか。それとも、何処か外の世界から紛れ込んでしまったのか。

*1:http://www.minshengart.org/

*2:彼は「藝術家(artist)」ではなく「画家(painter)」であることを望んでいる((Xhingyu Chen “The quiet man” TimeOut Shanghai January 2011, p.52)。

*3:Emma Chi “The sky's the limit” that's Shanghai January 2011, p.72

*4:時間論的に言えば、現在を頂点とする過去と現在を底辺とする未来といえるだろうか。

*5:http://www.eyelevel.com.cn/

*6:http://www.eyelevel.com.cn/show.asp?id=2831