犬の目線で

Regis Arnaud「スカイツリーは東京衰退のシンボルだ」http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2010/12/post-267.php



パリにはこんなジョークもあるくらいだ。「パリで最も美しい景色は、モンパルナス・タワーからの眺め。なぜかって? モンパルナス・タワーが見えない唯一の場所だから!」。
これには実は元ネタがある。エッフェル塔が出来たとき、巴里では不評たらたらで、〈パリで最も美しい景色は、エッフェル塔からの眺め。なぜかって? エッフェル塔が見えない唯一の場所だから!〉と言った人がいるわけだ。ところがどっこい、月日は杉の戸、エッフェル塔は巴里と言えば略自動的に結びつく、紐育の自由の女神、北京の天安門と同じというか、とにかく巴里を代表する景観、ランドマークになっている。因みにランドマークとしてのエッフェル塔を最も的確に描いた映画はフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』であったが*1。ここでdisられている「スカイツリー」だって100年後にエッフェル塔みたいになる可能性がないこともないのだ。
大人は判ってくれない [DVD]

大人は判ってくれない [DVD]

さて、アルノー氏の文章には少しずれているところがあると思った。「下町には特に、趣のある古い建物が多い」という。「下町」といっても広く、神田や日本橋と上野や浅草は違うといえるし、また両国や深川も違う。ただ、東京で「趣のある古い建物」が遺されているのは「下町」よりも寧ろ山の手なのだ。それは歴史的な理由もあり、「下町」は関東大震災で丸焼けになって急拵えで再建したと思ったら、今度は東京大空襲で丸焼けになって、戦後再度急拵えで再建したような場所だからだ。まあ悪いのは地震さんと米軍であるわけだが、東京の「下町」、特に隅田川の東に「平らな」印象があるとしたら、それはその辺りが歴史的にオフィス街ではなく工場地帯だったからである。工場は建物としてそんなに高さを必要としない。また、東京の「下町」の街並みを味あうには、空を見上げるような視線は不必要というか不適切である。電信柱よりも上は見るな! ということになるかもしれない。それよりも、できるだけ低い目線(例えば犬の目線)で地面ぎりぎりから見上げることによって、狭いスペースにトロ箱などを使ってびっしり花が植えられていたりする様子、或いは路地猫がちょこまこする様子とかが見えてくるわけだ。「東京スカイツリー」が「日本の進歩」のシンボルだとは思わないけど、嫌だったら空を見上げなければいいということになる。