サカモトからサカイへ

どうでもいいような疑問なのだが、ずっと気になっていたことがあった。坂本清馬という人がいた。所謂〈大逆事件〉の被告で唯一戦後まで生き延びた人で、戦後一貫して〈大逆事件〉再審請求を闘い続け、1975年に亡くなった。坂本清馬は坂本龍馬*1の親戚かどうかということ。二人とも土佐の人。
その答えは見つからなかったのだが、ネット上を彷徨っていたら、黒岩比佐子というノンフィクション作家の方のblogに出食わした。そこでは堺利彦のことが書かれていた。堺は〈大逆事件〉のとき、大杉栄荒畑寒村、山川均とともに、別の事件で獄中にいたため、難を逃れた。黒岩さん曰く、


秋水らが処刑される4カ月前に釈放された堺は、親友や同志のために監獄に面会に行き、差し入れをし、手紙を書き、被告人たちの家族の世話をし、あらゆることを一手に引き受けている。当時、検挙されなかった社会主義者たちの多くは、身の危険を感じて姿をくらませたり、主義を捨てたり、宗教に走ったりしていた。そのなかで、堺は孤軍奮闘していたのだ。

 秋水らが処刑されると、遺体の引き取りから葬儀の手はず、遺族への連絡、遺品の保管、秋水の遺稿の刊行など、すべて堺利彦が行っている。さらに、堺は各地に散らばっている処刑者の遺族たちと、無期懲役囚の家族たちを慰問する旅に出た。当時、堺利彦は生き残った社会主義者のなかで、もっとも危険人物としてマークされていたので、ずっと尾行刑事がついている。自分にも家族がありながら、冤罪で殺された同志の遺族たちを慰めるために、自ら足を運んでいるのである。
http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/51768055.html

さらに、「堺がいなければ、大逆事件後の日本は、もっと悲惨なことになっていたに違いない」とも言う。その一方で、堺利彦は上に書かれた救援活動と並行して、「売文社」を設立し、日本で初めて資本主義的ビジネスとしての文筆ということを謳った。ということで、現在のフリー・ライターやフリーの翻訳家の知的先祖でもある*2
大逆事件〉といえば、幸徳秋水。実は私は一時「秋水」という雅号を名乗っていたことがあった。勿論、これは『荘子』の「秋水」に因むものだが、これを思いついた時、失礼ながら幸徳秋水先生のことは失念していたのだった。
荘子 第2冊 外篇 (岩波文庫 青 206-2)

荘子 第2冊 外篇 (岩波文庫 青 206-2)

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080526/1211736133 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080904/1220465375 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081022/1224700883 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100108/1262951898

*2:堺利彦と「売文社」に関しては、鈴木直『輸入学問の功罪』、pp.127ff.も参照されたい。

輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書)

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