Frances Wood The Lure of China

The Lure of China: Writers from Marco Polo to J. G. Ballard

The Lure of China: Writers from Marco Polo to J. G. Ballard

Frances Wood The Lure of China: Writers from Marco Polo to J. G. Ballardを読了。


1 Introduction
2 Marco Polo and the Missionaries
3 Fabulous Cathay and the Age of Discovery
4 Jesuit China
5 Nieuhoff’s Account
6 Daniel Defoe on China
7 Lord Macartney
8 Diplomatic China
9 Somerset Maugham on China
11 Stella Benson
12 Ann Bridge
13 Travellers
14 Old Etonians in China
15 Bloomsbury in China
16 Pioneering Journalists
17 Wartime Visitors
18 Collecting China
19 Shanghai
20 Childhood in China


Illustration Acknowledgement
Index

サブタイトルにあるように、マルコ・ポーロ以来の西洋人による中国についてのエクリチュールについて。同じようなテーマの本としては、ジョナサン・スペンスのThe Chan’s Great Continent*1がある。この本とスペンス本との差異はもし詳細に検討すれば面白いのだが、ひとつとても表面的なことを申せば、採り上げる書き手が微妙に異なっているだけではなく、この本はテクストからの抜き書きが尋常でないほど多い。また、カラー図版の多さはこの本の魅力の一部を構成している。
The Chan's Great Continent: China in Western Minds (Allen Lane History S.)

The Chan's Great Continent: China in Western Minds (Allen Lane History S.)

第2章で採り上げられるのは、中世における中国記述。特にマルコ・ポーロとジョン・マンデヴィル(Sir John Mandeville)。著者によれば、14世紀・15世紀のヨーロッパにおいては、マンデヴィルの本はマルコ・ポーロのものよりも遙かに広く読まれており、19世紀に至るまで、西洋における中国イメージをインスパイアし続けたのはマルコ・ポーロではなく、マンデヴィルだった(pp.11-12)。また、この章ではマルコ・ポーロ本の粗探しにかなりの頁が費やされているが(pp.20-24)、著者は〈マルコ・ポーロは中国に行かなかった〉説の代表的論者なのだった。第4章では、明末以降渡来したイエズス会士たちの報告*2が採り上げられる。曰く、

The Jesuit Exploration of China from the end of the sixteenth century led to an enormous growth in information about China. Romantic tales about China and vague references to the Great Khan and Cathayans were overtaken by a mass of observed detail. This was translated into all the languages of Europe and had a considerable effect on seventeenth- and eighteenth-century intellectuals, diplomats and politicians. (p.35)
第5章で採り上げられるのは、和蘭東印度会社の北京への全権大使の執事だったJan Nieuhoff。彼は「箸についての最初の詳細な説明」(p.53)を行っている。第6章では、ダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー』のそれほど有名ではない続編Further Adventures of Robinson Crusoeにおける中国記述が採り上げられる。第7章で採り上げられるのは、清朝への英国全権大使マッカートニー卿の秘書であったGeorge Leonard Staunton卿のAuthentic Account of an Embassy from the King of Great Britain to the Emperor of China。第8章では19世紀末から20世紀初頭にかけて中国に駐在した3人の外交官。Algernon Bertram Freeman-Mitford(pp.89-96)と詩人/劇作家でもあったPaul Claudel(pp.96-101)とMarie-Rene Auguste-Alexis Saint-Leger*3(pp.101-106)。第9章ではアンドレ・マルローが採り上げられる。著者は(中国からは外れるが)マルローがカンボディアのアンコール・ワット*4で仏像泥棒をして逮捕・投獄されたエピソードに触れている(p.115)。第10章で採り上げられるのはサマーセット・モーム。第11章で採り上げられるStella Bensonは中国海関(Chinese Maritime Custom)に勤務していた夫に従って中国に渡り、また夫の転勤に伴って雲南ビルマ国境から東北部に至る中国各地で生活した。その一方で、廃娼運動にコミットする傍ら、The Poor Man(1922)、This Little World(1925)、Worlds Within Worlds(1928)、Tobias Transplanted(1931)といった中国を舞台にした小説を発表した。また、ヴァージニア・ウルフが彼女の小説を高く評価していたという(p.136)。第12章で採り上げられるAnn Bridgeは外交官の妻で、1925年から北京に居住した。中国を舞台にしたPeking Picnic(1932)、The Ginger Griffin(1934)、Four-Part Setting(1939)といった小説を上梓した。ここで著者が注目しているのは、これらの小説における北京を中心とした中国北部の風景の描写。第13章は「旅行者たち」というタイトルだが、ここで言及されるのは西域探検を試みたSven Hedin、Aurel Stein、Peter Flemmingなどの考古学者や探検家たち。フレミングについての記述(p.161ff)は次の第14章への繋ぎになっている。第14章はHarold Acton(pp.171-179)、Robert Byron(pp.179-183)、Osbert Sitwell(pp.183-187)、Peter Quennell(pp.187-188)といったOld Etonians(イートン校出身者)の中国生活の話。第15章は「中国におけるブルームズベリー・グループ*5。特に古典学者で政治哲学者のGoldsworthy Lowes Dickinson(pp.191-193)とJulian Bell(p.193ff.)*6。第16章では、エドガー・スノウとアグネス・スメドレーが採り上げられる。第17章は日中戦争中に中国を訪れた人々。ヘミングウェイが中国に来たということは知らなかった*7。第18章はコレクションの対象としての中国の話;

(…) by the mid-eighteenth century canny captains of East India Company ships were collecting trinkets, fans, caskets, and ‘export paintings’ (often of Chinese scenes depicted on European paper)*8 in specifically for sale in London. Soon every country house in Britain contained albums of Chinese export paintings to add to the great porcelain vases piled up on the chimney piece, and to the blue and white plates and dishes in the kitchen. However, it was not until the mid-nineteenth century that collectors of various sorts were able to visit China and collect on the spot. The first of these were plant collectors. (pp.239-240)
というわけで、先ず1843年に「倫敦園藝協会」から中国に派遣された英国の植物学者Robert Fortuneの話(p.240ff.)。さらに、美術コレクターで、その著書Chinese Artが21世紀になっても重版され続けているStephen Bushell(pp.242-244)。また、上海生まれのDenton Welchが描くところの中国人骨董商人と西洋人コレクターとのやりとり(pp.244-248)。さらには、Laurence SickmanやLangdon Warnerによる、愛すべき中国文物を掠奪などから「救済」するために、龍門や敦煌の石仏を引き剥がして、欧米に持ち去るというロジック(p.248ff.)。第19章に登場するのは、日本軍による上海侵略(第二次上海事変*9による老上海の終焉に立ち会った2人の女性。独逸人小説家のVicki Baum(pp.253-256)と米国人ライターEmily Hahn(p.257ff.)。第20章では、パール・バックとJ. G. バラード*10(『太陽の帝国』、『生の奇蹟』)における中国での幼少時代とその影響が語られる。
Miracles of Life

Miracles of Life

太陽の帝国

太陽の帝国

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090801/1249104935

*2:清朝イエズス会士との関係については、中野美代子乾隆帝』も参照されたい。See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081230/1230611916

乾隆帝―その政治の図像学 (文春新書)

乾隆帝―その政治の図像学 (文春新書)

*3:詩人としての筆名はSaint-John Perse

*4:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070816/1187241208

*5:ブルームズベリー・グループについては、取り敢えず橋口身稔『ブルームズベリー・グループ』をマークしておく。

*6:楊莉馨『20世紀文壇上的英倫百合 弗吉尼亜・伍爾夫在中国』(人民出版社、2009)も参照のこと。See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100107/1262830756

*7:ヘミングウェイの話については後日改めて言及するつもり。

*8:これについては、中野先生の『乾隆帝』も参照のこと。

*9:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070814/1187060649 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091211/1260497218

*10:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060916/1158392738 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090528/1243469093 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090604/1244084935 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100428/1272483133 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100429/1272507683 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100505/1273029775 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100613/1276455759 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100313/1268466640 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100418/1271571481