「啓蒙」/「教訓」

承前*1

ロバート・キャンベル「「努力」の根っこ」in 岩波文庫編集部編『読書のすすめ 第14集』岩波書店、2010、pp.41-49


曰く、


啓蒙といえば、「近代」の専有物に聞こえるかもしれないが、実際は江戸時代の「教訓」と相当するものであり、根っこがいっしょと言っても差し支えない。江戸文学を内容の上からも普及の面からももっとも大きく支え、充実させた分野は何かというと、いわゆる教訓系統の作者であり、その作品群であったことは注目していいように思う。貝原益軒の『女大学』や『養生訓・和俗童子訓』を筆頭に、江戸中期から明治初年にいたるまで夥しい作品数が巷に現れ、流通していった。教訓書の再版本は新作教訓書と合わせて膨大な数に達し、その板本がいまも全国の図書館や古書店に行くと、(手に取る人はほとんどいないのだが)うずたかく積まれている。男と女、士農工商、老人と青少年、人間それぞれの性差や類型やライフステージに応じてターゲットをしぼり、城下だけでなく農村などでも、生きる指針を実践的に説く教訓書は多数消費されていたのである。近代の「文学」概念からは大きく外れるけれども、しばらく虚心になって開いてみると、かなり面白い。(p.44)
キャンベル氏が先ず紹介するのは安政6年(1859)刊行の大橋淡雅『淡雅雑著』(全三冊)の第一冊「保福秘訣」(pp.45-46)。大橋淡雅(佐野屋孝兵衛)は宇都宮に本店を構えた豪商。攘夷論者の大橋訥庵の養父としても知られる。キャンベル氏曰く、

巻頭から商人の務めるべき第一の道、仕える人間の選定、その上での接し方や、教育、福利について詳細に語っている。現在いうところの人事、あるいは人材開発を重視した商人教訓になっている。(p.46)
また、明治14年刊行の青木輔清編『家事経済訓』。キャンベル氏が引用している一節を孫引きしておく;

婢僕ヲ扱フニハ第一無理ヲ言ハズ堪忍ヲ旨トシ、賞ヲ重クシ、罰ヲ軽クシ、不愍ヲ加ヘテ使フベシ。彼レ固ヨリ些少ノ給金ニテ人ニ使役セラルヽ者ナレバ、先ヅ己レヨリ劣リタルモノト思ヒ、其及バザルハ之ヲ教ヘ、瑣少ノ過失アリトモ之ヲ宥シ、唯理ヲ以テ諭スベシ。彼モ亦人ノ子ナリ。己レ子弟ヲ思フ心ヲ以テ之ヲ遇ゼバ、彼豈心ナカランヤ。婢僕ノ忠実ナルトキハ其主家ニ益アルコト固ヨリ言ヲ俟ズ、是レ経済ノ第一ナリ。若シ之ニ反シ婢僕主人ノ言ニ満足セズ、其為ス所不忠ナラバ、或ハ主婦ノ眼前ニ於テハ大ニ努ムルガ如シト雖モ、其主家ノ為メニ損害アルコト鮮少ナラザルナリ。(pp.46-47に引用)
勿論幕末や明治初期にも所謂「ブラック企業*2というか「ブラック」な商人もわんさか存在した筈なのだが、「ブラック」な教訓本というのは残されているのだろうか。
さて、キャンベル氏は幸田露伴の『努力論』の中の「幸福三説」に言及している。露伴によれば、「人間が幸せになるカギ」は「惜福」つまり「せっかくの幸せを浪費し使い果たしてしまわないこと」、「分福」つまり「福を他人に分け与えること」、「植福」つまり「人々の福利を増進すること」であるそうな(pp.47-48)。