Mark Riboudなど

現在、上海美術館で仏蘭西の写真家Mark Riboud(馬克・呂布)の回顧展『直覚的瞬息』*1が行われている。日曜日に鑑賞。
Mark Riboudは1923年にリヨンで生まれ、ロバート・キャパやアンリ=カルティエブレッソンが創設したMagunum集団に1952年に加盟した。1957年に中華人民共和国建国後初めて中国大陸を取材した西側の写真家として、北京、鞍山、上海などを取材した。この回顧展では、1957年、1965年、1971年、1991年、2002年に中国で撮影された作品を中心に、印度、ネパール、北ヴェトナム、カンボディア、アフガニスタン、日本、ガーナ等で撮影された作品が展示されている。勿論、彼の出世作となった、ダンスをするようにエッフェル塔にペンキを塗る男を撮った1953年の作品も。中国における作品で興味深いのはやはり、1957年の北京の下町の何とものんびりした雰囲気と1965年のぴりぴりした雰囲気との対比だろうか。Xhingyu Chenのインタヴューに答えて、1965年の中国での撮影について、Mark Riboudは次のように語っている;


My second trip, in 1965, was a little different. This was the very beginning of the Cultural Revolution, when things were just starting to happen. I was in Beijing mostly, however, so I didn’t see a lot of madness that I was told about. But I did see young men and women, children really, participating in a very militaristic parade with wooden guns. They had these impassioned looks on their faces, very fanatical.
We were never afraid but it did make me uneasy. I was aware of what was happening in the rest of the country. I visited Shaoshan[the birthplace of Mao] and saw how fanatical people were about Mao. I compare it to the religious fervour that some Roman Catholics have. (“Behind the curtain” TimeOut Shanghai March 2010, p.55)
写真として面白かったのは、例えば1971年に武漢で撮られた工場の煙突からもくもくと湧き出る煙の中に立ちつくす毛沢東像。また、1956年に撮られたアフガニスタンカイバル峠に続く道路の真ん中にひょっこりと現れた亀。
また、写真を撮ることを撮るというか、中国の写真家が撮影したMark Riboudも同時に展示されている。

今この文を書いている時点では既に終わってしまっているが、上海美術館では同時に牛安(Ann Niu)の中国帰国10周年の個展も開かれていた。牛安は1995年に東京の武蔵野美術大学を卒業した後、数年間日本の某ゼネコンに勤め、韓国と米国在住を経て、2000年から故郷の上海に定住している。
牛安にとって、世界は色取り取りの絡み合った曲線の集積からなる。これはちょっと下手な表現であり、私が最初に連想したのは野球のボールをばらしたときに現れる糸の塊。それを解した感じ。
牛安については、例えば


徐佳和「牛安“回国十年”画展開幕」http://www.dfdaily.com/node2/node31/node217/userobject1ai213085.shtml
孫維「牛安 女画家的時尚宣言」http://dzb.sg.com.cn/stylelife/shishang/532297.shtml
「居室如“画”熱烈真実 女画家牛安的上海居所」http://house.online.sh.cn/gb/content/2004-09/08/content_956097.htm


などを。

ところで、水曜日に、J. Hillis Miller Others*2山崎正和『社交する人間』*3を読了。感想などは後ほど(あくまでも未定である予定)。

Others

Others

社交する人間―ホモ・ソシアビリス (中公文庫)

社交する人間―ホモ・ソシアビリス (中公文庫)