- 作者: 山崎正和
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 文庫
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最近読み始めた山崎正和『社交する人間』からメモ。
つまりは自己意識の未発ということになるのだろうけど、ここでいう「子供」とは現実に何歳くらいまでをいうのか。また、これは「他者に向けて自分をある様式を持った者として呈示すること」としての「ファッション」*1の起源とも関わっているだろう。
ちなみに古くから遊びといえば子供のものだという先入観があるが、(略)大いに疑わしいといわなければならない。幼児にとってすべての行動は目的の性急な追求であって、過程の重視という意識は十分に発達していない。食物を奪いあうのもゲームに勝つのも同質の闘いであり、いわば遊びとまじめは完全に分化していない。その証拠に子供のゲームはとかく熱がはいりすぎて、負ければ現実の喧嘩に転じやすいのは誰もが知るとおりである。「ごっこ遊び」の場合でも、子供にとっていわば自己催眠が目的であって何かの役に扮したいという衝動だけが支配している。ゲームの勝ちかたの巧拙は問題にされず、「ごっこ遊び」の役作りの上手下手も度外視される。いいかえれば子供には遊びを見る第三者の目が存在せず、それを意識した行動の自制がないということであり、つまりは彼らには社交がないということなのである。(pp.106-107)