熊田一雄氏がはてなに移民したことをようやく知る。以前はYahooを使っていた筈*1。
『共同幻想論』を「「皇国少年」として、天皇を家長とする「家族国家観」を内面化して育った吉本隆明氏が、戦後民主主義社会と近代家族に再適応するために書いた本」だとする解釈は興味深い。
確かに、「共同幻想」=個人に外在し、個人を拘束する一種独特の実在である「社会的事実」または「集合表象」(デュルケーム)は、G・H・ミードの言う「重要な他者」との出会いを経て成立するものだと思います。しかし、その「重要な他者」は基本的に「性的パートナー」であるという「対幻想」論は、戦後民主主義下の「近代家族」にしか当てはまらないでしょう。この本は、「皇国少年」として、天皇を家長とする「家族国家観」を内面化して育った吉本隆明氏が、戦後民主主義社会と近代家族に再適応するために書いた本であり、そうした歴史資料として読めば、面白いと思います。
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20091101/p1
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と書き添えたのを再録しておくことにする。
吉本を弁護するとすれば、『共同幻想論』で「個なる幻想」が強調されるのは、〈文学〉を基礎づけるという目的があったからだといえるだろう。石川の『現代小説のレッスン』を参照してもいいのだが、〈近代文学〉においては、〈共同体〉から独立した〈個〉の言葉であることが制度的に強制されるのである。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050705
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が、桜井氏はアンナ・ボスケッティ『知識人の覇権』を参照しつつ、吉本隆明の手口がサルトルの手口と共通性を持つことを指摘していて、思わず笑ってしまった;
しかも不思議なことに、花田清輝との論争(中略)以後、吉本は論争や相手への非難中傷を重ねていくなかで、確実にひとつずつ「権威」の階段を昇ってゆくことになった。いうなれば、そのたびにハクがついてゆくようなかたちで、彼は巧妙にケンカしてきたのだといえなくもない。(pp.170-171)
当代一流の有名哲学者ハイデッガーへの論難と、当代を代表する有名作家フランソワ・モーリヤックへの「モーリヤック氏は、小説家ではない」とする断定的批判こそ、サルトルがのしあがるために採択した方法であった。たとえ、あげ足とりであれ、当代一流の有名人をたたくこと、このことこそ知識人界での覇権の道を開くものなのである。
古くは花田清輝から、最近ではニュー・アカデミズムまでことごとく当代の有名人たちに論難をくり返すことで、吉本隆明は〈権威〉への道をたどってきたのだといっていい。(p.172)
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