『京都新聞』の記事;
タイトルだけ見て、一瞬、石原慎太郎が死んだの? 正月らしくて縁起がいいけど、何故「龍馬」が関係あるの? と思ってしまった。しかし、「中岡慎太郎」ではないですか。
龍馬や慎太郎「實葬ナリ」
霊明神社が文書保管
現在、京都霊山護国神社(京都市東山区)敷地内にある坂本龍馬の墓に、実際に遺体が葬られていることを示す文書が、隣接の霊明神社に残されていることが4日までに分かった。過去に京都市が調査しているが、霊明神社が公開を控えていたこともあり、一般にはほとんど知られていなかった。霊明神社は「09年の創建200年を契機に、多くの人に見てもらえるようにしたい」としている。
文書は、龍馬をはじめとする幕末志士の埋葬を示す明治初期の記録や過去帳など約120点。神道式葬儀で葬られた志士の名が土佐や長州など藩ごとにまとめられている。1867(慶応3)年11月15日の記録には、龍馬や中岡慎太郎、小姓の藤吉の名前が記載され、いずれも「實(実)葬ナリ」と記載されている。
龍馬の葬儀が霊明神社で行われたことは、毛利家文書などにも記されているが、この文書は龍馬の墓に、実際に遺体が葬られたことを裏付けている。
1969年に、京都市歴史資料館が文書を写真撮影し保存しているが、調査報告書などは作られておらず、その所在はほとんど知られていないという。
ほかにも「安政の大獄」の頼三樹三郎、「生野の変」の平野国臣といった志士の記録や、伊藤俊輔(後の伊藤博文)の書簡など、霊明神社には維新志士との深い交流をうかがわせる資料が多数、残されている。
霊明神社は1809(文化6)年に創建。幕末の尊皇思想の高まりに伴い、長州藩毛利家などが同神社に神道式葬儀を依頼。池田屋事件の死者の葬儀などが行われた。その後、維新志士の墓は、明治政府が創建した東山招魂社(現在の京都霊山護国神社)に編入された。
村上繁樹神主(61)は「興味を持ってくれた参拝者に、霊明神社が志士とともに歩んだ歴史を知ってもらいたい」としており、可能な限り収蔵品を公開したいとしている。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2010010500087
それはそうと、明治元年創建という「京都霊山護国神社」*1というのは興味深い存在ではある。というのも、天皇による〈慰霊〉装置としては靖国神社の先駆をなすものだからだ。京都と東京、「霊山護国神社」と靖国神社の間にはどういう断絶性と継続性があるのか。靖国神社は明治2年に東京招魂社として創建されるが、靖国神社に改称されて本格的に稼働し始めるのは明治12年以降。その間に何があったかと言えば、戊辰戦争と西南の役ということになる*2。昔読んだ村上重良『天皇の祭祀』、『慰霊と招魂』、大江志乃夫『靖国神社』をマークしておく。また、「霊明神社」については、http://yoppa.blog2.fc2.com/blog-entry-568.htmlに、上の記事でもコメントが載せられている神主の村上繁樹氏が『日本主義』(白陽社)という雑誌*3の2008年冬号に、「京都霊明神社と草莽の魂魄 - 神道葬祭場から招魂の杜へ」という論文を寄稿していることが記されている。
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