産業の準位と生活の準位

承前*1

野生の思考

野生の思考


『野生の思考』、「ブリコラージュ」を巡って;


狙いに合わせてモノを作るのが主流になったのは産業革命以来ここ三百年のことで、その百倍もの時間、人類はありものをどう使いこなすかという頭の使い方をしていた。

エンジニアリングという手法はまだ新しい。なのに、多くの人はブリコラージュの可能性を忘れてしまった。「わけがわからない」ものがなにもない、都市に住んでいるからである。
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20091105/1257400475

産業という準位ではそうだろう。ただ、その理由は「「わけがわからない」ものがなにもない、都市に住んでいる」からではなく、「ブリコラージュ」だと大量生産が可能にならないから。レストランを考えてみれば、「ブリコラージュ」でやれば、〈シェフの気紛れサラダ〉みたいなものだけになってしまい、〈メニュー〉を確立することができない。
しかし、生活という準位では違う。自分で食うために料理をする人は日々冷蔵庫の余り物をブリコラージュして新作料理を作り続けている筈。或いは、段ボールで家を作ったり。雨傘でゴルフの練習をしたり。

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070923/1190518210 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070719/1184846804

ところで、bricolageというのは日常的によく使われる単語ではあるが、この単語から一般の仏蘭西人が連想するのはレヴィ=ストロースというよりは、何ちゃらホームセンター(そんなの仏蘭西にあるの?)とかIKEAなのではないか。

また、『野生の思考』はフーコーの『言葉と物』と併せて読むべき。

言葉と物―人文科学の考古学

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