属地主義と「旧宗主国(旧帝国)責任」

http://d.hatena.ne.jp/macska/20090501/p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20090503/p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20090507/p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20090508/p2
http://d.hatena.ne.jp/macska/20090508/p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20090521/p2


少し時間が経ってしまったようだが、取り敢えずURLだけはメモしておく。2つの鍵言葉で纏めると、属地主義(ここで使われている用語では「出生地主義」)と「旧宗主国(旧帝国)責任」ということになるか*1。この議論はまとも且つ穏当なものであると思うが、何故コメントとかによって議論が複雑化しているのかというのはちょっと理解しがたい。
ただ、これは初歩的な一歩にすぎず、「在日」が「韓国・朝鮮系」になったとしても、また新たな問題は出てくることになるのだろう。しかし、新たな問題が出てくること自体、〈進歩〉のしるしであるともいえる。
ところで、参照されているk3altという方のblogが削除されてしまっているようなのは返す返すも残念。

さて、


oldriver 帰化後数世代、民族性を維持するのは難しいかも。強いのはおそらく、言語・宗教・外見・名前。アメリカで言えば、ヒスパニック・ユダヤ・アフリカ系・各欧州系。在日はどれも持ち得ない。キムチ漬けてる家でしかない 2009/05/02
http://d.hatena.ne.jp/macska/20090503/p1
というコメント。その後半部は何がいいたいのかよくわからない。「帰化後数世代、民族性を維持するのは難しいかも」というのは興味深い社会学的問題だと思う。私の粗い考えでは、移民集団がホスト社会の中で文化的独自性を維持していくのは以前よりも容易になっている面もあるのではないかと思うが如何か。以前ならば、移民したら移民先で母国と切り離されてしまい、さらに世代を重ねると、ホスト社会に同化されてしまうか、〈ゲットー〉化してホスト社会における孤立と引き替えに「民族性」を維持するかの二者択一という言説はそれなりにplausibilityを持っていたのかも知れない。インターネットの普及以前に海外に長期滞在したことがある人ならわかると思うが、一旦海外に出てしまうと、母国(日本)のというか、日本語のメディア文化からはほぼ完全に切り離されてしまったといっていいだろう。せいぜい数年で帰国する一時滞在者ならともかく、移民集団の場合は、それが世代レヴェルで続くわけだ。グローバル化のひとつの側面ということなのだが、衛星放送やインターネットの普及によって、外国に出ても母国のメディア文化を享受する可能性は格段に増えているわけだし、飛行機の大衆化によって、母国と移民先との往来も時間的な意味においても経済的な意味においても、以前より遙かに容易になっている筈だ。在日韓国人と韓国本国との繋がりは、留学やビジネス上の出張などの往来の頻度において、多分30年前よりも密になっているのではないかと思うのだが、どうだろうか。