『四川のうた』(メモ)

承前*1
http://www.bitters.co.jp/shisen/index.html


やはり『四川のうた』というタイトルはアレだと思う。勿論、原題の『二十四城記』、英題のThe 24 Cityでは何のこと? ということになるのだろうけど。タイトルにある「二十四城」はこの映画の舞台の工場の跡地に建設される高級住宅地の名。因みに「二十四城」の開発を手がけている不動産会社がこの映画に資金を提供している。
批判的なコメントを読んだが*2、まあそうもいえるよねと納得すると同時に、賈樟柯は敢えて「中途半端」を、またドラマを作らないことを選んだのだと、ここでは言っておこう。かつてはその存在自体が国家機密だった軍需工場が解体され、高級住宅地に変わろうとしている。或る意味では、こういうネタを使って、共産党万歳でもアンチ共産党でも、資本主義マンセーでも反資本主義でも、立場を明確にした〈ドラマ〉を作るというのは簡単なことなのかも知れない。しかし、敢えて「没有故事只有記憶」(克賽)を選択したと。ここで描かれている(語られている)、生産施設だけでなく住居、娯楽施設、子女のための学校まで一体となった〈単位社会〉の崩壊というのは、(特に都市部に住む)中国人の多くが経験したことなので、この映画の語りに触発されて、各自のドラマを紡ぎ出すことが可能である。
ところで、プロの役者が演技として語るシーンは、この映画の外枠を示す、よりメタな準位の語りになっているといえよう。呂麗萍はこの工場の起源を語る。瀋陽から列車で大連へ、大連から船で上海へ、上海で川船に乗り換えて長江を遡り、重慶へ、重慶から成都まで列車で。14日かかって成都に辿り着いた。また、陳冲は、中越戦争の盛りには軍需品の需要が多く工場の景気がよかったが、戦争が下火になってくると途端に不景気になり、洗濯機や冷蔵庫のような民用品を手がけざるをえなくなって、上海出身の彼女は営業担当として数年間上海に赴任したと語る。
この映画で印象的だったシーンを言えば、夕方突然少女が現れて、高架道路を背景にして、テラスみたいな場所で突然ローラー・スケートを始めるところ。また、機材が搬出されて半ば廃墟になった工場の窓にはりつく蝶々。
さて、現代中国文化というか心性の基調には中国は中国において既に失われているという喪失感があるんじゃないかと感じている。それは例えば、大陸では既に失われた中国の伝統的な生活文化を求めて台湾を旅行する、とか、中国では既に失われた古代中国を求めて京都や奈良を旅行するということにも表れているのだが、『二十四城記』もそのような心性において受容されていることは間違いないだろう。ということで、失われゆく古き上海を描いた舒浩崙のドキュメンタリー『郷愁(Nostalgia)』*3を喚起しておきたい。また、どちらも(中国人にとっては)〈失われた1980年代〉を喚起するものである。どちらも山口百恵を大々的にフィーチャーしているし。
「マダム・チャンさんが言うように賈樟柯は最初の『一瞬の夢(小武)』が一番よくて、あとはどんどん「人間のドラマ」が描けなく(「描かない」のではなく)なっている、というのが正直な感想だ」*4。これは、汾陽、或いは山西省を離れて、賈樟柯は映画を作れるのかという問題として問うことは可能だろうか。たしかに、山西省から離れた賈樟柯は何かしらふらついて見える。日本だと、例えば河瀬直美*5は奈良を離れて映画が撮れるのか問題ということにもなるか。そういえば、彼女の『七夜待』はタイが舞台だけれど。

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