忌野清志郎

『毎日』の記事;


<訃報>忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け
5月2日22時54分配信 毎日新聞


 「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。


 東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。

 一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」やパンクロック風にアレンジした「君が代」が入ったアルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、コンサートで突然「あこがれの北朝鮮」「君が代」を歌って、FM中継が中断したこともあった。

 06年7月に喉頭(こうとう)がんと診断され入院。治療を続けた後、08年2月に日本武道館で本格復帰した。しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、再び活動を中止し放射線治療などを続けていた。

 ◇自分の道を貫いた

 ▽音楽評論家、田家秀樹さんの話 日本のロックバンドと日本語のロックの原形をつくった人だった。忌野さんがリーダーだったRCサクセションは、黒人音楽と日本語を初めて結びつけ、またビジュアル系の元祖でもあった。反原発の曲をつくるなど、ロックが反骨であると証明し続けた。妥協もこびることもなく、音楽一筋を貫き通したと言える。死は早すぎた。

 ◇聞く者に力与えた

 ▽音楽評論家、天辰保文さんの話 清志郎さんの根底には黒人音楽への敬意があり、それをエンターテインメントの形で日本に定着させた功績は大きい。権威への反逆も一貫していたが、それをユーモアにくるみ、さりげなく表現していた。実はシャイな人だったと思う。彼の音楽には「彼は常に信頼できる人であり、自分もしっかりしなければ」と、聞く者に思わせる力があった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090502-00000100-mai-soci

田家秀樹のコメントがかなりアレなので、怒りさえ覚えたのだが。化粧をしたからといって、「ビジュアル系」じゃないだろう。
また、

清志郎さん 眠るように天国へ旅立っていた
  2日にがん性リンパ管症のため、58歳で亡くなったロック歌手、忌野清志郎さん(本名・栗原清志)の通夜が3日、都内の寺院でしめやかに密葬形式で営まれ、親族をはじめ、芸能界からもRCサクセションの盟友、チャボこと仲井戸麗市坂本龍一井上陽水竹中直人ら約120人が参列し、早すぎる死を惜しんだ。2日に天国へと旅立った際には、近親者に見守られ、静かに息を引き取ったという。

  ◇  ◇

 「愛しあってるかい?」-。そんな声が今にも聞こえそうだった。祭壇の中央には、スーツ姿で満面の笑みを浮かべる清志郎さんの遺影。その周りには、カラフルな花が飾られ、2006年10月にリリースしたアルバム「夢助」が流れる中、無宗教形式で行われた通夜の参列者は、それぞれ花を手向けた。

 清志郎さんは、景子夫人ら約10人の近親者に見守られ、眠るように息を引き取った。「すぐに起きてくるよ」-。58歳という若さで天へと昇ってしまった、清志郎さんの安らかな顔を見て、親族からはそんな声がこぼれたという。

 通夜への参列者も、その早すぎる死を受け入れられなかった。清志郎さんとともにRCサクセションとして「雨あがりの夜空に」、「トランジスタ・ラジオ」などのヒットを世に送り出した仲井戸は、表情を硬くしたまま、コメントすることなく足早に斎場を去った。

 ファンは、06年7月にのどに見つかったがんとの闘いを終えた清志郎さんが一時帰宅した東京・渋谷区の自宅マンションにも駆けつけ、冥福を祈った。

 この日は報道陣の取材を受け付けることなく、親族は清志郎さんと最後の時を過ごした。4日に行われる葬儀も、遺族の意向で親族による密葬形式で営むため、芸能関係者の問い合わせに対しても、9日に東京・青山葬儀所で執り行う葬儀告別式への参加をお願いしているという。
http://www.daily.co.jp/gossip/2009/05/04/0001883122.shtml

という『デイリースポーツ』の記事を読むと、チャボの悲痛は想像するだに余りある。
ところで、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061113/1163423052で、「トランジスタ・ラジオ」の歌詞を引用した。また、RCサクセションについては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070430/1177955798も。