林文月

石剣峰「林文月 波瀾不起従容不迫」『東方早報』2009年4月17日


従兄弟でもある連戦中国国民党栄誉主席の大陸訪問に同行して上海に滞在していた、台湾の日本文学者、林文月へのインタヴュー。
彼女は1933年に上海の日本租界で生まれた。父親の林伯奏は台湾彰化県人、母親の連夏甸は台南人。林伯奏は上海の東亜同文書院を卒業し、三井物産上海支店に勤務していた。自身の言葉によると、生家は「虹口公園」の隣、現在の「西湾江路」にあったという。小学校は日本人学校に通い、内山書店にも出入りし、内山完造とも面識があったが、小学5年の時の日本「投降」まで自分が日本人だと思っていたという。日本敗戦後の混乱する上海から台湾に引揚げ、以後そこで育つことになる。台湾に帰っても、上海語と日本語しかできず、台湾語やマンダリン(「国語」)はできなかったという。純粋な日本人でもなく、純粋な上海人でもなく、純粋な台湾人でもないというマージナルなアイデンティティの感覚が後々にも大きな影響を与えたという。
あと、記事は『源氏物語』の翻訳について(彼女は『源氏物語』中国語全訳を最初に刊行した人である*1)。また、彼女のエッセイ集『京都一年』と『飲膳劄記』について。