比喩の罪

『毎日』と『読売』の記事;


名古屋・チワワけり殺し:懲役6月、猶予2年 「うっぷん晴らし」元会社員の男に判決

 名古屋市千種区の路上で7月、飼い主と散歩中だった生後4カ月のチワワ(時価約31万円)をけり殺したとして器物損壊と動物愛護法違反罪に問われた同区清住町、元会社員、田中善行被告(44)の判決公判が3日、名古屋地裁であり、野口卓志裁判官は「うっぷんを晴らしたいという動機は自己中心的」などと懲役6月、執行猶予2年(求刑・懲役6月)を言い渡した。

 判決によると田中被告は7月13日午後4時50分ごろ、同区覚王山通の路上で同区の男性(40)が連れていたチワワの腹部を1回けり、内臓破裂で死なせた。田中被告はいったんチワワを追い越したが、上司からしかられたことを思い出し、振り返って無言でけった。野口裁判官は「態様は悪質だが、反省しており、損害賠償100万円を支払うことで(男性と)示談している」と述べた。男性は判決後「『犬ごとき』と思っている人に対して、良い判例になると思う」と話した。【秋山信一】

毎日新聞 2008年10月4日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081004ddm012040050000c.html


「上司に見えた」チワワけり殺し、44歳元会社員に有罪判決

 小型犬のチワワをけり殺したとして、動物愛護法違反罪などに問われた元会社員、田中善行被告(44)(名古屋市千種区)の判決が3日、名古屋地裁であり、野口卓志裁判官は「うっぷんを晴らすための自己中心的な犯行」として、懲役6月、執行猶予2年の有罪判決を言い渡した。


 判決によると、田中被告は7月13日夕、名古屋市千種区の歩道で、男性の飼い主が散歩させていたチワワ(生後4か月)を右足でけり、内臓破裂で死なせた。

 捜査段階で田中被告は、「犬が怖かった」と供述していた。しかし、裁判では、当時勤めていたソフトウエア会社で、上司からどなられるなどし、自宅でも近所の犬にほえられて心が休まらず、「犬が上司に見えた。もう限界だと思った」と、動機を明らかにした。

 野口裁判官は判決後、「飼い主に与えた悲しみを認識してください」と諭した。
(2008年10月3日21時30分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081003-OYT1T00597.htm

私流に言えば、田中善行被告の罪は比喩(隠喩)の濫用ということになるだろう*1。つまり、本来その「上司」を「けり殺」すべきだったのに、不適当な隠喩的操作を行い、「チワワ」を「けり殺した」ことが糾弾されなければならいのだろう。
ところで、『毎日』と『読売』では(田中善行が回想し・供述した)事実の叙述に微妙な差異がある。『毎日』によれば、「いったんチワワを追い越したが、上司からしかられたことを思い出し、振り返って無言でけった」。それに対して、『読売』では「犬が上司に見えた」と「犬」と「上司」の類似性が言及されている。
類似しているかどうかを検証するためには、田中善行に殺された「犬」と(「犬」のおかげで命拾いした)「上司」の写真を比較しなければならないかもしれないが、多分それは無駄だろう。渡辺慧(『認識とパタン』)がいう〈みにくいアヒルの子の定理〉というのを思い出した。記憶に頼りながら、いい加減に述べてみる。ある存在者A(eg. みにくいアヒルの子)と存在者B(eg. 美しい白鳥)が似ていいるかどうかはどのように決定されるのか。そのためには、両者に共通する要素(c)と共通しない要素(d)を数え上げてみるしかない。それぞれの総和、CとDの差が正であればAとBは似ているといえるだろうし、負であれば似ていないということになる。しかし、要素を数え上げていけばCとDの差は0に近づく。つまり、綿密に両者を観察すればするほど、両者が似ているかいないかは決定不能(どちらでもある/どちらでもない)になっていく。勿論、ここには隠された前提があって、どの要素にも優劣関係はなく等価であることになっており、本質と偶有性の区別もない。実際私たちが類似性の有無を簡単に見極めることができるのは、私たちの知覚には常に・既にバイアスがかかっていること、意味ある要素と無視してかまわない要素という優劣関係が前以て与えられているからである。
認識とパタン (1978年) (岩波新書)

認識とパタン (1978年) (岩波新書)

さて、隠喩というのは類似性に基づく比喩だとされている。しかし、言葉が先なのか(現実の)類似性が先なのかという問題がある。


安倍晋三は河豚だ*2


実際に似ているからこの表現が生まれたのか、それとも、こんな表現があるから似ているように思えてくるのか。上の〈みにくいアヒルの子の定理〉を参照すれば、後者の方がより根源的なのだろうといえる。そもそもどちらでもある/どちらでもないなのだが、〈似ている〉という前判断によって、要素間に優劣関係ができ、〈似ている〉要素が図として浮かび上がってくるということになる。
夜空を見上げて、星々を眺めても、そこには蠍も羊も牛もいない。しかし、天文学占星術の本に載っていた補助線を導入することによって、やっぱり蠍なのかと納得する。

「チワワ」殺しに戻れば、最初事件を聞いたとき、「チワワ」(それも仔犬)が怖くて殺したというのがちょっと信じられなかったということはあったのだが、相手がドーベルマンや秋田犬でも蹴っ飛ばしたのかと裁判官は訊かなかったかどうか。


「チワワ怖い」とけり殺す 44歳男を逮捕 名古屋
2008.7.15 12:47


 路上で散歩中の生後4カ月のチワワをけって殺したとして、愛知県警千種署は15日、器物損壊の現行犯で名古屋市千種区の会社員、田中善行容疑者(44)を逮捕、送検したと発表した。田中容疑者は「犬が怖かった」と供述しているという。チワワは体高約20センチ、体重約2キロだった。

 調べによると、田中容疑者は13日午後4時50分ごろ、千種区内の歩道で、同区の男性会社員(40)がひもを付けて散歩していたチワワの腹を1回けった。チワワは内臓破裂による心不全で死んだ。

 田中容疑者は男性の約2メートル前を歩いており、突然近づいてきて無言でけったという。近くにいた別の男性(47)が現場から立ち去ろうとした田中容疑者を取り押さえ、警察官に引き渡した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080715/crm0807151246019-n1.htm

*1:不適切な比喩については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080901/1220265656も参照されたい。

*2:See http://d.hatena.ne.jp/kamayan/ 勿論、この比喩には換喩的な要素も含まれている――「下関」。