イスラームについてメモ(スラヴォイ・ジジェク)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080912/1221190599に関連して、スラヴォイ・ジジェク『人権と国家』*1から少し抜き書きしておく。


Z*2 イスラームは非常に興味深い宗教です。何冊かの書物を読んでいて説得されたのは、ユダヤ教キリスト教においては、皆が神の子だと強調されて家父長的な守護者の下にあるのに対し、イスラーム教徒は孤児だということです。人間社会という次元において見捨てられていても神の子だというわけではなく、全員が保護を失っている。ムハマンドは実際に孤児であったほどです。
R*3(略)
Z イスラーム共同体ウンマという着想は何でしょう? とても政治的なものです。コミュニティの構築と創出であり、皆が孤児であるため、家族などの家父長的な要素に依拠できないのです。アフリカを含めた第三世界においてイスラームが成功を収めたのは、近代化の結果として人々が居場所を奪われているためでしょう。イスラームは、新たな共同体の設立に向いており、アイデンティティが見つからない場合に最適なのです。ルーツを持たない人間である孤児が新たなコミュニティを確立するうえでの方程式を提供します。アメリカの黒人の間でも、特に組織的だったのは……。
R ネーション・オブ・イスラーム
Z やはりムスリムの教団でしたね。拡散、追放された者にとっては、イスラームが道を開くのです。そこに何かが生み出される余地があります。クルアーンには最も残酷な仕打ちからリベラルな見解まで、全てが内包されています。イスラーム哲学の中には、見上げた思想を発見します*4。あるイスラームの書物によると、我々が皆ムスリムではなくユダヤ教徒キリスト教徒が存在する事実は、神の善良さと寛大さを示しているというのです。世界の豊かさに感謝すべきなのです。クルアーンには、キリスト教徒を改宗させるのに骨を折るべきではない、それぞれの形で神に尽くしているだけかもしれないという内容も含まれているほどです。極端なまでの寛容です。(略)イスラームが根本的に寛容だと言うつもりはないものの、他の宗教と同様、狡いわけです。あらゆる綱領を提示しており、そこから何を導き出すかは状況によるのです。今日イスラームが課題を抱えている事実は承知していますが、それだけで片付けてはなりません。しばしば、一見すれば障害として捉えられるものが、新たな布置の下では解決策の一部を成すことがあるのですから。(pp.27-28)
ジジェクイスラームに対するコメントはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080121/1200845306も参照されたい。
また、イラン*5を巡って;

Z イランの原理主義者でさえ……ホームページを見せてもらったのですが、私の文章がペーストされているのです。他方で、当然のことながら検閲等のトラブルが多発したものの、私の著作も二冊が出版されており、イランを訪問できそうなのです。興味深い国ですよ。知的な議論が非常に活発だと聞きました。想像されている様子とは全く異なります。イスラーム保守派の原理主義者でさえ、なかには西側で高等教育を受けた者もおり、プリミティブな価値観によって主張を裏づけるのではなく、西側の理論を持ち出すというのです。ハイデッガーやカント……とりわけハイデッガーですが。
R (略)
Z 原理主義者の間で結構な人気を博しているようです。反米の原理主義者と言葉を交わした場合、「アメリカはサタンだ」ではなく、「西側のテクノロジーの危険性についてハイデッガーを読め」と言われます。洗練された論理が展開され、イデオロギーのぶつかり合いが非常に高度なレベルで闘わされているのが印象的です。
R (略)
Z イランではハンナ・アーレントハーバーマスデリダらの思想が引用されているのですから。知的な議論が興味深く、ぜひ訪れたいと考えています。イランと同時にイスラエルへも行きたいのですが、先にイランでしょうね。(後略)(pp.211-212)