墓の問題など

承前*1

http://sun.ap.teacup.com/souun/4527.html


このblogの特徴は他所の記事を丸ごと転載することにあるのだが、上掲のエントリーでは、自民党参議院議員である浜田和幸*2のオサマ・ビン・ラディン殺害に対する懐疑論が転載されている。それは取り立てて論評するまでもないものなのだが、後ろの方の(多分blog作者による)コメントを読んで、この浜田和幸911陰謀論者だということを今頃になって知る。911陰謀論者といえば、民主党藤田幸久ちぇんちぇー*3がいるけれど、陰謀理論は右も左も、与党も野党も超えるんだなと思った。藤田/浜田の〈大連立〉ってあるの?
浜田は「イスラム教に「水葬」などの教義はないはず」と断言している。私も「火葬でも水葬でもなく水葬というのがイスラームにおいてどのような意味を持つのかは知らない」と書いた*4。「イスラーム=沙漠の宗教」という偏見はまだまだ根強いようだが*5イスラームには〈海の宗教〉という側面もあるということはちょっと考えれば思いつくことだろう。何しろ、早くも唐代にはアラビア商人が海を伝って中国の広東省福建省に到達していたのだ。また、アラビアとマレーシアの印度洋を通しての繋がりは強く、今でもアラビア半島とマレーシアの上流階級は緊密な婚姻関係を構築している。だから、イスラームに「水葬」についての規定がない筈はないと思うのだ。
さて、米国がビン・ラディンを「水葬」にした理由のひとつとして、土葬にすればその場所が反米テロリストどもの〈聖地〉となることを恐れた云々ということが言われているらしい。しかし、それは神学上ありえないのではないか。イスラームスンニー派は世界のどの宗教と比べても、或いは無神論者と比べても、墓に無頓着だといえる。勿論スーフィ行者の廟が巡礼地になるということはある。しかし、ビン・ラディンの属するワッハーブ派は「スーフィズムの天敵」である*6ワッハーブ派はスーフィ行者(聖者)の廟を破壊しただけでなく、聖地メッカのドームまで破壊しようとした(しかし、建物が頑丈すぎてできなかった)。とにかく、ビン・ラディンの墓が〈聖地〉となるのは宗教上の不条理だということになる。


実際、今日のサウディアラビアにおいても、墓には墓標などの建造物はまったくない。それは王族の場合も同様である。墓地はただの空き地のような場所であり、埋葬場所の目印程度に大きめの石が置かれているだけなのである。他のイスラーム諸国では、土饅頭程度のものからレンガなどを利用した墓など、さまざまな形態のものが作られており、サウディアラビアほど殺風景な墓地はみられない。これもワッハーブ主義の教えに従っている結果である、といえるだろう。(大塚和夫『イスラーム主義とは何か』、pp.38-39)
イスラーム主義とは何か (岩波新書 新赤版 (885))

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