丁抹の夕鶴?

夢みる人びと―七つのゴシック物語 1 (ディネーセン・コレクション 2)

夢みる人びと―七つのゴシック物語 1 (ディネーセン・コレクション 2)

アイザック・ディネーセンの「詩人」から;


翌土曜日の夜、アンデルスは顧問官邸の夕食に顔をだした。食後アンデルスは詩を一篇朗読した。三羽の野生の白鳥が三人の乙女に変身して、夜の湖で沐浴しているのを、若い農夫が見かける。若者は脱いであった羽根を一対盗み、残された乙女を妻とする。白鳥妻は若者とのあいだに子供たちを産む。ある日、かくしてあった羽根を取りもどした妻は、それを身につけて飛びたつ。家の上空を大きく旋回し、その輪を次第にひろげ、ついに空のかなたに姿を消す。(p.238)
これを読んで、日本の夕鶴というか鶴の恩返しの話を思い出す。何れも、


人間/鳥
男/女
地面/空
定住/移動


という対立によって物語が構成されている。また、結末は、鳥であり且つ人間である、空に属し且つ地面に属しているという論理的混乱状態からの分化によって、世界が秩序を恢復したと読むべきだろう。日本のヴァージョンとディネーセンのヴァージョンの間テクスト的差異については、先ず鶴と白鳥という差異があるが、物語の展開に即して見れば、


(物語の発端=同居の契機として)助ける/盗む
(鳥が生産するものとして)布地/子ども(その前提として、労働/セックス)
(結末の契機として)男が女の秘密を知る/女が男の秘密を知る


という差異を見いだすことができるだろう。
ディネーセンがどこからこのネタを拾ったのかはわからないが、北欧でもこのような人間/鳥の異類婚の話は伝わっていたということなのだろうか。