玉蜀黍など

歴史・文化・表象―アナール派と歴史人類学 (NEW HISTORY)

歴史・文化・表象―アナール派と歴史人類学 (NEW HISTORY)

『歴史・文化・表象』*1からのメモ。
Andre Burguiere「ヨーロッパ社会研究における人類学と歴史学*2。「一六世紀初めにアメリカ大陸から到来したとうもろこしの辿った数奇な運命」(p.125)などについて;


まずスペインに入りますが、キリスト教徒の食物としては禁止されてしまう。次いでオスマン帝国に向かいますが、やがて西ヨーロッパに逆戻りし、もっとも生産性が低い地域の農業システムのなかにもぐり込んで、繰り返し襲いかかる飢饉から貧しい農業が逃れるのを援けるのです。こんな工合で、フランス人の食習慣においては、独自の趣好が奇妙なほどに永く続き、地域的な差異がなかなか消えていきません。それは、リュシアン・フェーヴルが提唱した調査にもとづいて作製された、料理用の脂や油の分布図が如実に示している通りです。この地図によれば(略)オリーヴ油がローヌ川に沿って北上しているように植生が移動した跡も認められますが、他方、フランス西部のいくつかの地域では、牛の放牧が盛んになり牛乳の特産地となっても、なお豚脂が用いられているように、古くからの農業システムが保たれていることが判ります。また、ジュラ地方では、オリーヴ油を用いる南部と、バターを用いる北部のあいだにははっきり線がひかれており、文化的な境界線の存在が認められるのです。(pp.125-126)
キリスト教徒の食物としては禁止されてしまう」――それは何故? それから、その頃のイベリア半島には既に(公式には)ムスリムユダヤ人はいなかった筈。