刑務所に入りたい人

『読売』の記事;


「刑務所に入りたい」52歳が重文の神社に放火…静岡


 静岡浅間神社静岡市葵区宮ヶ崎町)内にある国指定重要文化財の麓山(はやま)神社拝殿に火を付けたとして、静岡中央署は19日、同区出身で住所不定、無職鍋田伊佐夫容疑者(52)を非現住建造物等放火の疑いで緊急逮捕した。

 鍋田容疑者の同神社への放火は3回目。

 調べによると、鍋田容疑者は18日午後11時10分ごろ、同神社拝殿の外側にある回廊上で、角材や週刊誌にガソリンをまいて放火し、拝殿の引き戸1枚(約2平方メートル)を焼き、壁や回廊の床を焦がした疑い。不審者防止用センサーの感知で社務所職員が119番通報し、火は約10分後に消火された。けが人はなかった。

 鍋田容疑者は約2時間後、裏山から拝殿近くに現れたところを逮捕され、動機について「路上生活が嫌になり、刑務所に入りたかった」と供述している。

 鍋田容疑者は1988年と93年に同じ回廊で放火、いずれも実刑判決を受け服役した。過去2回とも「刑務所に入りたい」と供述していた。

 静岡浅間神社境内には麓山神社など複数の社殿があり、江戸後期の社殿群24棟が71年に重文指定された。

(2007年8月19日19時13分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070819i311.htm

何故同じ場所で3回もというのは気になるが、例の下関の事件*1と同様に「刑務所」にしか居場所を見出すことができないということであろう。
ところで、「格差社会」という用語は(間違いではないにしても)適切さに欠ける感じがする。マクロな社会工学的な態度において、相対的「格差」が或る閾値を超えると色々とやばいことになる云々ということは勿論言える。しかし、個人の立場においては、問題は相対的ではなく絶対的な性格を持つ。