オーディエンスのお作法

『朝日』の記事;


キレる客対策、業界本腰 クラシック演奏会でトラブル急増
2007年03月16日

 クラシックの演奏会で最近、観客同士のトラブルが相次ぎ、主催者らを悩ませている。人気マンガ「のだめカンタービレ」などの影響で、新規客が増えたのが一因のようだが、かつては問題にならなかったようなささいなことで、いらだちを暴発させる客が目立つという。音楽業界も対策に乗り出した。

◆途中入場・チラシ制限も

 「携帯電話のアクセサリーがうるさい」。昨年、都内の大ホールで、30代とおぼしき男性が若い女性の服をひっぱり、ロビーに引きずり出した。仲裁に入った主催者がその携帯を見せてもらうと、ちいさな鈴がひとつついていただけ――。

 演奏会の主催者によるとこうしたトラブルが目立ってきたのは半年ほど前から。きっかけになるのは演奏会のチラシの束やパンフレットをめくる音、せきばらいや呼吸音、体臭などなど。休憩時間に「迷惑だから退場させろ」と主催者に詰め寄ったり、終演後に口論を始めたりする人が増えたという。激高している客は、落ち着かせるためまず別室へ、との原則は、今や多くの主催者にとって常識になった。

 グループで訪れる若い観客を、主催者は「のだめ軍団」と呼んで警戒する。彼らが一方的に悪いわけではないが、クレームをつけられ、トラブルに発展することがあまりにも多いからだ。高齢者が“標的”になる場合も多いという。

◆音や行動に敏感

 特定のクレーマーや、マナーに無神経な客は昔からいたが、最近の特徴はごく普通にみえるクラシック好きの常連客が、周囲の音や行動に過敏に反応し、突如キレる客に変貌(へんぼう)する点だ。

 「クラシック業界には、得意客を大切にする老舗(しにせ)旅館的な空気がある。従来のファンが、気付かないうちに、他者に自分の『聴き方』を強要している面もあるのかも」と新日本フィルハーモニー交響楽団の桑原浩事務局長は語る。

 精神科医春日武彦さんは「ノイズを完全に遮断する高性能ヘッドホンの登場など、今は『公』の空間にいても『私』の空間と知覚することが多くなった。公共空間において五感が妙に潔癖になり、自分の空間を突然侵されることへの不安が強くなっている。無菌室のような音楽ホールでは、特に感じやすいのではないか」と分析する。

◆「ガス抜き」検討

 主催者やオーケストラ側も対応に苦慮している。新規客もシルバー世代も、これからのクラシック界を支える大事な存在。トラブルのせいで演奏会から足が遠のく事態は避けたい。一方で、昔からの固定客も大切にしたい。とはいえ、注意事項やアナウンスが増えると、雰囲気が堅苦しくなる……と試行錯誤が続く。

 東京フィルハーモニー交響楽団では昨年から、クレームの原因になることの多い、曲の途中での入場や入り口でのチラシ配布をやめた。松田亜有子渉外部長は「賛否はあると思うが、“音楽に集中してもらうことを東京フィルは優先する”と意思表示することが大切だと考えた」と語る。

 大手マネジメントのジャパン・アーツは04年から、一般のファンの意見をもとにマナーブックを作成し、公演で配っているが、最近のトラブル増加を受け、改訂を検討中だ。

 東京ニューシティ管弦楽団は4月から、着席の際の「お願い」を記した紙をプログラムに挟む。「『マナー』を押しつけるのではなく、クラシックならではの深みを味わってもらうため」と作田忠司事務局長。客席の一角に、少々の音を気にせず聴衆が気楽に振る舞える「自由席スペース」も設ける予定だ。

 日本オーケストラ連盟は今月、この問題で日本クラシック音楽事業協会と初の意見交換会を開いた。今後も心理学者を招くなど、様々な角度から勉強会をするという。「リタイアした団員に『音楽ソムリエ』としてロビーに立たせ、聴衆との交流をはかってもらうなど、ガス抜きの方法を真剣に考えていきたい」と出口修平事務局次長は語る。

 ちなみに関西からは、こんな「キレ客」にともなうトラブルはあまりきこえてこない。「何か問題があれば客同士が『おい、やめえや』と注意しあうし、さばさばしているから不快感も後にひかない。主催者を巻き込んでのトラブルは、ほとんど聞かない」(大阪フィルハーモニー交響楽団事務局)とか。
http://www.asahi.com/culture/music/TKY200703160235.html

『のだめ』を契機として新しい客層が進出してきて、それによって元からのファンとの間で文化的衝突が起こっているという単純な話でもないらしい。精神医学者の春日武彦氏のコメントによると、「ウォークマン」の効果ということも考えられるという。細川周平先生はそろそろ「ウォークマン」論の続編を書かれてもいいのでは? たしかに、「ウォークマン」は周囲の環境から自らを完全に切断して、純粋に〈音〉に集中することができる。では、それにも拘わらずライヴを享受する意味というのはどこにあるのか。ひとつ考えられることは、ライヴをともに享受することによって、CDなどの複製品を介しては不可能な共同性の感覚を獲得することが可能だということだ*1。さらに基本的なこととして、ライヴを享受するということはその場で生起している*2ことをまるごと享受するということだといえる。それは演奏が行われている会場というトポスであり、プレイヤーの表情や動作或いは証明のようなヴィジュアルな効果であるが、それには勿論自分を含むオーディエンスの(拍手やブーイングを初めとする)反応も含まれる。記事にあるような「トラブル」の遠因は、「クラシック」というジャンルそのものの存立とともに制度化された集中的聴取(concentrated listening)という態度にあるのではないかとも思われる。「キレる客」というのはその集中的聴取という態度を徹底化しようとしている人たちとも言えるからである。集中的聴取という態度はそもそもライヴにおいて享受すべき対象を縮減するように働いていた。コンサート・ホールという存在自体、集中的聴取のために音楽的環境を非音楽的環境から隔離することを目的としていたといえる。さらにいえば、「ウォークマン」というテクノロジーに集中的聴取という制度化された態度を強化するという効果があったことはたしかだ。また、「のだめ軍団」が集中的聴取のようなクラシック的な諸制度を自明なものとしていることは想像に難くない*3
映画の場合、観客のマナーの低下がいわれ始めたのは1980年代くらいだったと思う。これはヴィデオの普及の効果だと言われていた。映画においては新しいメディアが集中的視聴という制度を突き崩してしまい、音楽においては新しいメディアが集中的聴取という制度を強化・純化する方向で機能しているということか。
上海のジャズ・クラブでオーディエンスのお喋りにキレそうになったということは既に書いたが*4、どちらにしても現代において公の場における適切な振る舞い方を身に着けるというのは難しいということか。