曽進「我的外公外婆」『外灘画報』2006年8月17日号、A14-16
毛沢東の孫娘(外孫)である孔東梅さんへのインタヴュー。
彼女は1972年生まれ。毛沢東の孫の世代では唯一の女性。最近、回想録『改変世界的日子』を上梓した。インタヴュアーによれば、彼女は祖父・毛沢東の若い頃の風貌にとてもよく似ているという。但し、辣いものは食べられない。北京大学大学院で英文学を専攻し、その後米国留学。2001年に帰国後、「東潤菊香書屋有限公司」*1という出版社を設立、現在はその「董事長」。「東梅」という名は祖父である毛沢東が自ら命名したという――「東梅是外公最喜愛的花、東方的梅花代表外公心目中的東方女性」。
彼女の祖母は賀子珍。江青によって、毛沢東の妻の座を追われ、蘇聯にて長らく亡命同然の生活を送った。インタヴューの中心は賀子珍の晩年のこと。彼女の母親(李敏)も蘇聯で育ち、自分の父親が誰であるかを12歳まで知らなかったという。毛沢東が崩御したとき、国中が号泣の渦の中だったわけだが*2、賀子珍だけは絶対に泣かなかったという。「異常冷静」。賀子珍が亡くなるのはその1年後。
また、毛沢東一族の結束は今でも堅く、今年の5月、朝鮮戦争で戦死した毛岸英の命日には、北朝鮮で一族40人が会した。
母親の李敏も2000年に回想録『我的父親毛沢東』を出版している。