解散、人事、病

『日刊スポーツ』の記事;


タッキー&翼解散!滝沢は芸能活動引退、今井退所へ
[2018年9月13日2時0分]


滝沢秀明(36)と今井翼(36)のデュオ、「タッキー&翼」が12日、解散を発表した。所属事務所を通じて書面で伝えた*1。滝沢は今年いっぱいをもって芸能活動を引退し、ジャニー喜多川社長(86)の意思を継ぎ、ジャニーズJr.の育成や舞台、コンサートなどをプロデュースする仕事に専念する。今年3月にメニエール病を再発し療養中の今井は、近くジャニーズ事務所から退所する。

2人は連名でコメントを発表。昨年9月のデュオ活動休止から1年が経過し、「支えてくださった皆様のご期待に応える活動を今後も継続していくことができるのか、自分たちはこれからの人生をどう歩んでいくべきなのか自問自答し、事務所とも話し合いを重ね、最終的には2人で話し合い、このたび、CDデビューから16年を迎えた9月10日をもってタッキー&翼は解散という道を選ぶことに致しました」と報告した。

「これまで愛してくださったファンの皆様、常に叱咤(しった)激励を続けてくださった多くの関係者の皆様のお気持ちにお応えすることが出来ないままで、大変申し訳ない気持ちで一杯です」と謝罪した上で、「ともに30代半ばを過ぎ、1人の男としてこれからの人生をそれぞれに見つめての決断とご理解頂けたら幸いです」とつづった。

滝沢は、引退後について「ずっと自分を育ててくれたジャニー社長のタレントを育成、プロデュースしていくという意思を継ぎ、ジャニーズJr.の育成や舞台、コンサート等のエンターテインメントをプロデュースする仕事に専念することを決意致しました」と明かした。「これは私自身がいつの日からか意識しずっと頭の中に描いていたことであります」ともつづった。

今井は「まずは自分の身体としっかり向き合うため、ジャニーズ事務所を退所し、仕事という背負いも無くした状態で病気を克服し、心身共に健康な状態になることに専念したいと思います」と伝えた。近く退所した後については「全くの白紙ですが、自分の心身が健康な状態になってから考えたいと思いますので、その時が参りましたら改めて皆様にご報告できるように頑張っていきたいと思います」とつづった。

2人の決断を受けて、ジャニー氏もコメントを発表。「彼らが考え抜き、大人として決断したことを尊重したいと思います」とし、引退する滝沢については「本人にはプレイングマネージャーの選択肢があることも伝えましたが、裏方に専念したいという強い希望を受けて、このようなご報告となりました。申し訳ありません」と明かした。

14年にメニエール病を発病し、一度は復帰したが今年3月に再発した今井については「この数年間、本人がつらい思いをしていたのを間近で見ておりました。責任感の強い彼にとって、仕事をしながら病気を治すことは難しく、何も背負うものがない状態で自分と向き合いたいと聞き、本人の希望を受け入れました」と経緯を説明。「心身共に健康となった彼がまた活躍してくれる日が1日も早く来ることを心から願っています」とつづった。

タッキー&翼は、02年9月に「Hatachi」でCDデビュー。翌03年にはシングル「夢物語」をヒットさせた人気デュオだ。昨年9月、「それぞれがスキルアップを目指した個人活動に専念する」とし、活動休止を発表。同月のテレビ朝日系「MUSIC STATION ウルトラFES」以降、デュオ活動を休止していた。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201809120000939.html

See also


「「タッキー&翼」が解散 滝沢さんは年内で芸能活動から引退」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180913/k10011627411000.html
Oricon News「タッキー&翼が解散。滝沢秀明は芸能界を引退、今井翼はジャニーズ退所で治療専念へ」https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/13/takki-tsubasa-intai_a_23525677/
TABLO編集部「【速報】タッキー&翼は解散、滝沢は芸能界を引退、今井はジャニーズ退所へ」http://tablo.jp/media/johnnys/news003778.html


この「解散」(「引退」報道以前に、ジャニー喜多川*2滝沢秀明を後継者に指名したということが報じられていたのだった;


土竜妹子「なぜマッチでも東山でもないのか? ジャニーズ帝国の後継者に指名された滝沢秀明の"カリスマ性"」http://tablo.jp/media/johnnys/news003733.html
那目鯛子「ジャニーズの社長がもし本当に滝沢秀明になったら"あの人たち"は完全に干されると関係者が語る」http://tablo.jp/media/johnnys/news003752.html
薮入うらら*3「ジャニーズ体制に揺さぶりをかけた「滝沢革命」に、くすぶるJr.は大歓迎」http://news.livedoor.com/article/detail/15297746/



ジャニーズ内の派閥抗争は好きにして! という感じなのだが、その一方で、今井翼の病は気になった;


今井翼悩ませたメニエール病…患者たちも理解を呼びかける」http://news.livedoor.com/article/detail/15302510/
ハフポスト日本版編集部「今井翼さんが活動休止を発表、再発した難病「メニエール病」とは」https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/28/imai-tsubasa-menieres_a_23398049/


『ハフィントン・ポスト』が援用する日本医師会のサイトによれば、


メニエル病とは、「めまい」と「吐き気」の発作が繰り返し起こる病気です。一般的には「耳鳴り」や「難聴」をともないます。
発作は数分で治まることもあれば、数時間続くこともあります。また、長期間にわたって何度も発作を繰り返す人もいれば、一回かぎりの人もいます。30〜50歳代に多く、高齢者にあまりみられないのも特徴です。
発作を繰り返すと、耳鳴りが残ったり、難聴が進んだりすることもありますが、症状には個人差があります。
https://www.med.or.jp/forest/check/meniel/01.html
また、

なぜ「めまい」が起こるのか?その原因は耳の奥にある内耳にあります。内耳は、骨と膜の二重構造になっていて、膜の内側には内リンパ液が満たされています。
しかし、ストレスなどなんらかの理由でこの内リンパ液の量の調整がうまくできなくなると、内リンパ水腫ができて神経が圧迫され、めまいや耳鳴り、難聴などの症状を引き起こすのです。
https://www.med.or.jp/forest/check/meniel/03.html
「30〜50歳代に多く、高齢者にあまりみられない」ということだけど、「30〜50歳代」でメニエール病に罹った人が年を取るとどうなるのだろうかと思った。また、4年前に酷い耳鳴りに悩まされたなということも思い出した。尤も、それは綿棒で耳くそを穿ろうとして却って耳の奥に押し込んでしまったことが原因だったのだけど。

厄年問題

タマニチェンコ「「独身40代の孤独」の正体とは」https://qtamaki.hatenablog.com/entry/2018/09/04/232627


ここでいう「独身40代の孤独」問題、或いはアラフォー問題というのは、新しい問題であるように見えることもあるけれど、昔風に言えば〈厄年〉の問題ということになるのだなと気づいた。最近の事例でいうと、あの「低能先生」問題*1も厄年の問題だったわけだ。
さて、「孤独」な増田たちの声たちが言及されているのだけど*2、先ず言っておかなければいけないのは、40代というのは仮に80代まで生きるとしたら、その折り返し点、人生の午前中が午後になる時期だということだろう。それは可死的存在(mortal being)としての私たちすべてにまとわりついてくる問題なのだけど、特に「独身」者はそれに対して、敏感或いはヴァルネラブルであるということだろうか。
40代が「袋小路に追い込められ、打つ手がないという窮状に陥」る幾つかの理由が考察されている。曰く、


まず、自分が強く感じていることは、若い頃にあんなに輝いていて大切だと思えたものの価値が、すっかり色あせてしまうということです。

若い頃は、朝まで飲み明かして「バカ」をやっていることが楽しいと思っていましたが、今では酒も止めてしまいましたし、友達と会う機会もすっかり減りました。

新規に「バカ話」が補給されないため、久しぶりに会った友達とも「昔話」ばっかりするようになります。これもまた一抹の寂しさを感じる要因となります。

学生時代や20代は、みんな未熟で物も知らないので話題も限られ、価値観も似たり寄ったりです。同じようなことに興奮してゲラゲラ笑い、憤り、悲しんでいたわけです。自然と連帯感が生まれ、「仲間」というものに大きな価値観を感じます。しかし、30代40代と色々な経験を積んでいくにつれ、成長の度合いや歩んできた人生の経路によって、それぞれの価値観にバラツキが出てきます。上司や社長になる人間もいれば、非正規や働いてない人もいたりして、それぞれの立場で見えるものが異なるため、会話がギクシャクしてきます。結果的に、昔話や健康問題なんかを話すしか共通の話題が無いのです。そこにかつて感じていた高揚感や一体感はありません。かつての思い出の余韻に浸るか、淡々と知識の交換をしていくわけです。

そこには、祭りの後のような寂しさが漂うだけです。

木村敏先生の『時間と自己』*3に従えば、「祭りの後」というのは鬱病に典型的な時間性である。
時間と自己 (中公新書 (674))

時間と自己 (中公新書 (674))

また、「恋の火が消えてしまった寂しさに対する絶望」として、

体からも心からも瑞々しさが失われます。飲んで馬鹿をする楽しさに加え、気になる女の子に恋をする楽しさも奪われます。

40代まで独身であった者ならばなおさらです。恋の仕方も知らぬまま、「体も心も衰えてしまった」という窮状に陥ります。もはや、どこに行って誰と会えば恋人ができて、ましてや結婚できるのか想像もつかないという状況にうろたえます。20代や30代ならば、努力やきっかけさえあれば「何とかなるかもしれない(けど何もしない)」といえるかもしれませんが、40代ともなると一段深く、「もう努力やきっかけでは埋められない」という絶望にシフトしていくわけです。

知っている人がこの世から消えていくこと;

40代ともなると、親が年老いたり死んだりしていきます。

「無くしてわかるありがとさん」といいますが、親が死去したり、経済的な能力を失ったりすると、今まで何だかんだ最後のセーフネットとなっていた後ろ盾を失います。

自分は、独立心が強い方で、親に頼ったことはほとんどないのですが、それでも失ったことにより、心細さを感じています。

そして、失っていくのは親ばかりではなく、親戚関係も減っていきます。親がいなくなれば、親の親類とのつながりも希薄になるので、一気に孤立した感じになります。

本当は、「した感じ」ではなく、はっきりとした「孤立」です。よりリアルに、実体と実感を伴った純粋で黒々とした冷たい孤独が鼻先に迫っていることに気づくのです。

また、既知の領域が拡がることの副作用;

好奇心や知的探求心の源泉は「無知」です。「知らないことを知る」とか「新しい体験をする」といったことが大きな喜びを与えてくれるのですが、当然ながら知識や経験が蓄えられていく毎にこれらの刺激は小さくなっていきます。増田の中にも、今まで絶対の価値を確信していた趣味や興味分野に対しての情熱が冷めてしまったことに驚きや失望を感じているケースがあります。
最後のことを巡っては、別の場所で異論までは行かない何かをいいたいということはあるのだけれど、まあそんなもんなんだろうなと思った。
問題は、タマニチェンコ氏が提示する解決策だろう。先ず、「子供を作ること」だという。「子宝というのは、まさに宝で、すべてが色あせる40代に新たな価値観を与えてくれます」。たしかに、子どもを持つというのはいいことだけれど、「独身40代の孤独」の理由として、「恋の火が消えてしまった寂しさに対する絶望」が挙げられ、「どこに行って誰と会えば恋人ができて、ましてや結婚できるのか想像もつかないという状況にうろたえます」と書かれている。「子供を作る」ためには、法的な結婚はともかくとして、恋愛をしてセックスをしなければいけないわけだ。何というか、例えばネットが繋がらなくて、プロヴァイダーのサポートに電話しているのに、詳しいことはウェブで見てねと言われた感じ。
ただ、厄年問題というか、ここでいう「孤独」問題というのは、原理的にはどんなにリッチでリア充な生き方をしている人でも陥ってしまう可能性がある。ちょっと考えてみたのだけれど、これは私たちは幾らでも、今生きているのとは別様の生き方を想像できるけれど、実際に選択できるのは1つしかないという事実のせいだろう。選択肢は沢山(もしかしたら無限に)あるのに実際は選択できない。何故なら、人生は1回だけだからだ。ここから、後悔という実存的境位、或いは機会費用という経済学的問題が出てくるわけだ。話を戻すと、これまで子作りにあまり興味がなかったカップルに、「子供を作ること」を勧めるというのはありかも知れない。但し、〈不妊〉に悩んでいるようなカップルに対しては、「絶望」ならぬアノミーに突き落としてしまうことになる。
最後に「瞑想」が推奨されている;

ウィパッサナー瞑想などのマインドフルネス瞑想によって、如実知見や洞察知を体得することができれば、孤独であることが気にならなくなります。

心静かに至上の楽である涅槃に達すれば、怖いものなんて何もありません。

家族や仕事に追われる毎日では、本格的に修行したり出家したりするのは難しいですが、孤独であるということは、「しがらみがない」ということでもありますので、大胆に人生のかじを切ることだってできます。

心の平安を取り戻し、本当の自由を謳歌してください。

日本語の基礎;

色は匂へど
散りぬるを
我が世たれぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ
酔ひもせず
遁世というか、少なくとも平安時代以降の日本人にとっては、王道の余生と言えないこともない。「40代で孤独ならば、瞑想し放題なので実はチャンスともいえます」。しかし、「孤独」は意外と深刻な落とし穴を掘る可能性があるのではないか。その一つは魔境に陥るリスク。私の仏教理解はタマニチェンコ氏のそれとは少しずれているのだと思う。私の仏教理解では、仏教では二つの矛盾したことが要請されているのではないかと思う。一つは、救済(解脱)は絶対的な自己責任において行われなければならない。二つ目として、しかしながら、救済(解脱)は僧伽という共同性において遂行されなければならない。僧伽という共同性というのは、通時的に考えると、私の修行というのは釈尊以来の高僧方・名僧方の系譜の中にあるということだろう。共時的に考えれば、信者仲間や師匠の存在ということになるのだろう。ここでも難問があって、それはその信者仲間や師匠が本物なのか偽物なのかというのは事前には知り難いということである。だから、見出した師匠が実は麻原彰晃みたいな奴で、気がついたらサリンを撒かされていたという可能性もある。この絶対的な自己責任はそのようなリスクを引き受けるということも含むのだろう。
もう一つ、リア充限定でお薦めしたいのは、一言で言えば、


目指せ腹上死!


ということになるだろうか。快楽が昂まりすぎてその最中にぷっつりと切れてしまうことも厭わず(或いはまさにそれを目指して)エクスタシーを最大化すること。ジョルジュ・バタイユは死に至るまでの生の高揚と言っていた。上で言及した木村敏先生の時間論によれば、祭りの真っ最中というのは癲癇の時間性なので、これは癲癇への転換ということになる。
ところで、かなり以前に宮台真司氏が〈失楽園〉というのはオヤジにとっての「ハルマゲドン」なのだけど、実現可能性は殆どないので実際には社会的に無害なのだというようなことを言っていなかったっけ? 多分、『野獣系でいこう!!』に収録された江川達也との対談で*4

野獣系でいこう!! (朝日文庫)

野獣系でいこう!! (朝日文庫)

シンシアも及ばず?

久田将義*1安室奈美恵の偉大さを"昭和時代に移住"した『東京の沖縄人』がかく語りき」http://tablo.jp/culture/idol/news003741.html


安室奈美恵引退はもうカウント・ダウンの段階なんだ。
さて、


翁長沖縄県知事が亡くなった時、安室奈美恵が「沖縄の為の尽力して頂いた」旨の追悼文を出したところ*2、ネットでは「安室は反日」とか「在日」という書き込みが散見されました。この辺りは、カルトのような考え方で愚かだなと思います。
 逆に見ると、安室奈美恵の影響力の大きさを知らしめた感があります。
 そして、東京在住の「沖縄人」(とあえて呼称します)にとっても安室奈美恵、の影響力は大変大きかったのです。
 特に昭和世代の人にとって。
そんなことがあったのね。熱湯浴というのは今上天皇を「反日左翼」扱いするような人たちなので*3安室奈美恵を「反日」扱いしても、今更驚かない。
記事の続き;

僕の元上司は親御さんが沖縄出身で、東京の足立区に移住していました。今でこそ沖縄と言うと、芸能人、スポーツ選手など綺羅星のごときで、沖縄差別など考えられません。しかし、昭和30年代にはあったと言います。

 足立区の某所では沖縄集落のような場所があったようで、元上司はそこに住んいでいました。名前も沖縄で最も多い名前という事もあり、からかわれていたそうです。


「じゃ、具志堅用高がボクシング世界チャンピオンになった時に沖縄のイメージが上昇したんですか」と言いました。すると、苦笑いしながら、
「逆だよ。からかわれたよ。『ちょっちゅねー』って言ってみろとかね」との事でした。
「えー。じゃあ、いつ頃ですか。沖縄出身と堂々と言えるようになったのは」


安室奈美恵が出てからだよね」


 即答でした。

具志堅用高とほぼ同時期に喜納昌吉の名前もヤマトで知られ始めた。その頃、沖縄には〈日本のジョン・ロード〉とも言われたジョージ紫率いる紫がいたので、俺にとって、1970年代後半の沖縄というのは何よりも〈ハード・ロックの聖地〉みたいな感じだったよ。それはともかくとして、具志堅用高以前に時計を巻き戻してみると、南沙織がいたのでは? アイドルであるとともに、吉田拓郎泉谷しげるといったミュージシャン、また大岡昇平のような知識人が惚れ込んた南沙織。また、1970年代には、彼女に肖って、自分の娘に「沙織」と命名する親も少なくなかった(Cf. 永井良和南沙織がいたころ』)*4。それでも、「沖縄」のイメージにはあまり影響を与えなかったのか。少なくとも東京都足立区においては。
南沙織がいたころ (朝日新書)

南沙織がいたころ (朝日新書)

本を読む(山崎まどか)

多屋澄礼「「優雅な読書が最高の復讐である」。山崎まどかさんが実践する、本との向き合いかた」https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/07/book-yamasakimadoka_a_23518726/


山崎まどかさん*1へのインタヴュー。
凄く面白かった。


小さな頃は本さえあればいいってくらい、本に夢中でした。10代の頃は本を読んで頭でっかちになっていたところがあったんですが、身体を壊したこともあって、読書ばかりして頭でっかちになっていてはいけないと思い立ち、読書から離れた時期もありました。

20代半ばから、また読書が楽しくなって、本を読むことを大事にしようと改めて思ったんです。読書は主体的な楽しみなのだと気づかされたのもこのときです。本を読むことで身体的にフィードバックしたい、血肉にしていきたいと思うようになりました。

映画や音楽、本、それぞれに魅力はありますが、映画は作品を作った人のヴィジョンに付き合うという要素が強いですよね。時間の流れもコントロールできない。

3分だけ映画を見るってことを、私はできないけれど、本を読むことは、何かの合間合間に3分だけでもできるんです。ページをめくるタイミングも自分のペースで選べますから。


洋書の翻訳もしているので、海外の本を原書で読むこともあるのですが、原書で読むのはずっと苦手でした。以前よりは読むスピードは速くなったけれど、文章のリズムや単語の難しさもあり、なかなかスムーズに読めない時もあります。

それでも翻訳本が出るなら、翻訳本を読むようにしていますが、どうしても読みたいと思った本は洋書でも買ってしまうし、装丁が可愛いとついつい手が伸びてしまいます。

難易度にかかわらず、どうしても読みたい、内容を知りたいと思える本を選ぶことが大事だと思っています。2、3ページ程度、最初は短くてもいいから読み進めていき、その1冊を完読する。「最後まで読んだ!」という達成感が、次の読書に繋がっていくと思います。


母の知り合いの話なんですけど、彼が小さかった時、学校で本の感想文を書く課題が出されて、その子は本屋さんへの道順やその本を選んだことについて事細かに書いて、感想は一言「面白かった」だけだったんですって。

それを授業で発表すると、クラスメイトからはブーイングが出たけれど、先生は切り口が面白いって評価してくれたという話があって。そのエピソードがずっと心に残っていて、そういうものを書きたい気持ちがずっとありました。

山崎まどかさんの父親は異端の、というかデリダマルクス経済学者である山崎カヲル氏だが、既に東京経済大学は定年退職しているのね。