トリウム(メモ)

今ちょっと話題になっているらしい「トリウム原発」についての批判的記事;


「トリウム原発に騙されてはいけない!1〜ウランとトリウムって何が違うの?」http://blog.sizen-kankyo.net/blog/2011/05/000894.html
「トリウム原発に騙されてはいけない!! 2〜トリウムなら大丈夫って本当?」http://blog.sizen-kankyo.net/blog/2011/05/000895.html
「マレーシアのトリウム汚染訴訟」http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20110629/p1


これらを読んだ限りでは、ウランやプルトニウムを使う従来型の原発と比べて、安定性(安全性)は勝るものの、廃棄物問題等の原発アポリアを解消するものではありえない。トリウムはウラン233に変換されて核分裂するので、それは中性子を発するということであり、例えば井野博満氏が指摘した「中性子照射脆化」の危険*1も免れ得ないということになる。
Thoriumは北欧神話の雷神Thorに由来するもの。ウランやプルトニウムが希臘神話なのに対してこちらは北欧神話とはこれ如何に? 取り立てて意味はない? 
それから、小沢一郎が「トリウム原発」をプッシュしていたのか*2

日本共産党についてわからないこと

代々木小夜「余命3年か?日本共産党が危ない 」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/9556(Via http://taraxacum.seesaa.net/article/212642519.html


共産党ファンにとってはどきっとするタイトル。日本共産党は党員・支持者の高齢化*1によって財政的に破綻してしまうかも知れないという主張。著者は、共産党が破綻を免れるためには、赤字の『しんぶん赤旗』の発行停止と一貫して反対してきた「政党助成金」の受取りしかないという。しかし、どちらも党員・支持者のアイデンティティを傷つけ、党の正当性を危うくしてしまう。
さて、上掲の記事は


2008年の出来事の1つに蟹工船ブームがある。プロレタリア文学に属する小説『蟹工船』の作者で、官憲に虐殺された小林多喜二共産党員であったことから、蟹工船ブームと同時に日本共産党も注目された。

 日本共産党によれば、毎月1000人以上の入党者があり、そんな状態が20カ月続いたという。このことは、当時マスコミで大々的に報道された。

 では、現在の共産党員は何人いるのか。党員数は2〜3年に1回開かれる党大会で明らかにされる(25回党大会は2009年総選挙のため2010年に延期された)。

24回党大会(2006年1月) 党員数 40万4299人
25回党大会(2010年1月) 党員数 40万6000人

 4年間の増減は「+1701人」。「毎月1000人以上の入党者」があった割には、ほとんど増えていない。

 志位和夫委員長の発表によると、この間に3万4000人の新入党員を迎えている反面、1万6347人の物故者が出ているという。物故者のほとんどは高齢党員と見られるが、それを差し引いても1万7653人党員は増えていなければならないはずだ。しかし、1万5952人の離党者(除名、除籍者を含む)を出しているため、党員増が約1700人にとどまっているのだ。

 「共産党ブーム」など、マスコミが騒いだだけで、実際はなかったのである。

という一節から始まっている。
蟹工船ブーム」*2って2008年だったのかと妙な懐かしさも覚えたりするのだが、よくわからないのは2006年から2010年の4年間に「 1万5952人の離党者」がいることだ。この「離党者」数が過去と比べて多いのか少ないのかがよくわからないのだが、共産党の「離党者」が多くなる状況として考えられるのは、先ず弾圧の激化、次いで内部の路線対立の激化による粛清の増大だろう。前者について言えば、現代日本に戦前のような治安維持法はない。後者についてだが、戦後の共産党は国際派vs. 所感派の抗争、構造改革*3の追放、蘇聯派の追放、中国派の追放といった内部抗争、路線対立を経てきた。さらに、1970年代前半と1980年代半ば頃にもそれなりの規模の〈粛清〉があったと聞いている。最近、このような過去の対立に匹敵するような路線対立があったのかどうか。或いは、「離党者」の多くは「蟹工船ブーム」につられて入党してはみたものの、わかんない、つまんないということで辞めちゃったということなのかも知れない。とすると、共産党員ということの性格がわからなくなる。共産党って入るのも出るのも簡単なのか。そもそも共産党は少数精鋭のエリート(前衛)を自認していたので、入党の敷居も高かった筈だ。例えば、一定の期間活動に従事して、さらに論文試験や面接に合格してやっと入党できるとか。そうであれば、わかんない、つまんないとかいうちゃらい奴は入党以前に淘汰されている筈なのだが。因みに、基督教(カトリックプロテスタント)でも教会に通い始めて直ぐに洗礼を受けて信者になることはできない。一定期間〈求道者〉として教義を勉強し、コミットメントを強めることが要請される。ところで、共産党では信仰の継承問題はどうなっているのだろうか。党員の高齢化ということはあるにせよ、その信仰は息子・娘・孫にどのくらいの割合で継承されているのか。継承された場合のコミットメントの問題は? 創価学会などの新宗教の教勢が停滞している理由のひとつは、既に信者の多数が両親や祖父母から信仰を継承した〈生まれつき〉の信者になっていることである。
創価学会もそうなのだが)共産党は日本社会における社会内社会をなしているといえる。『赤旗』を初めとした共産党系のメディアがあり、共産党系の生協や医療機関があり、共産党系の文化サークルやスポーツ・サークルもある。党員は(恋愛や結婚も含めて)共産党の内部で生活していけるわけだ。これは党にとっては党員の統制や統合に、党員にとっては自らのアイデンティティの安定に寄与するものだ。しかし、共産党の最近の低迷や(選挙での)不振はこれと関係があるかも知れない。共産党員は、学生時代に民青に入ってからこつこつと努力して、やがては党の幹部になったり、関連団体に天下りするというライフ・コースを描くことができる。これはサラリーマンや官僚が(社会一般ではなくて)企業とか省庁という世間の中でこつこつと出世していくという人生を送るというのと同じである。共産党の選挙候補者の肩書きを見ると、党組織や関連団体の幹部というのが多い。党の中の人にとってはそこから具体的なイメージが浮かんでくるのかも知れないけれど、外の人にとっては何それ? ということになるのだろう。また、最近の、先ずマス・メディアに露出して有名人になってから、その有名性をポピュリズム的基礎として選挙に打って出るという傾向(例えば橋下徹とかそのまんま東)には太刀打ちできないということになる。
ところで、『しんぶん赤旗』は、清水渡「原発推進へ国民分断、メディア懐柔 これが世論対策マニュアル」という「日本原子力文化振興財団」の「世論対策マニュアル」を暴露した記事ではいい仕事をしている*4
それから、「政党助成金」に関しては、共産党のスタンスは完全に正しいと思う。少なくとも、「職業政治家」の廃止を唱える天木直人*5は「政党助成金」制度の廃止に向けて共産党と共闘すべきだよ。

ヴァンゲリスなど

CDを2枚。

Vangelis 1492: Conquest of Paradise

1492: Conquest of Paradise

1492: Conquest of Paradise

Keren Ann 101
101

101

ところで、ポール・サイモンのSo Beautiful or So What*1の”Special Thabks”で、


To my friend , Philip Glass, who seems to know how to untangle the harmonic knots that I occasionally miscreate in my songs.
このPhilip Glassってあのフィリップ・グラス*2? そういえば、Scott Hicks のドキュメンタリーGlass: A Portrail of Philip in Twelve Partsを観て、あの『浜辺のアインシュタイン』のサワリを見ることができた。
So Beautiful Or So What

So Beautiful Or So What

Glass: A Portrail of Philip in Twelve Parts (2pc) [DVD] [Import]

Glass: A Portrail of Philip in Twelve Parts (2pc) [DVD] [Import]

また、角岡伸彦『ホルモン奉行』*3を読了。
ホルモン奉行 (新潮文庫)

ホルモン奉行 (新潮文庫)

「三不老胡同」(メモ)

北島『城門開』*1からの抜書き。北島が住んでいた北京の「三不老胡同」の由来について;


(前略)這裡原是鄭和的宅邸、雕欄玉砌今何在、唯有假山、如瞎眼証人。
鄭和本姓馬、小名三保、明成祖朱棣賜姓鄭、三保老爹胡同由此得名、到了晩清、大概被囫圇呑棗*2的北京話、外加噎人的西北風纂改諧音―― 三不老胡同、倒也吉利。説起鄭和周游世界至今還是個謎、既不為了荽耀武力、又非貿易経商、動機何在?(「三不老胡同1号」、pp.67-68)
ところで、宦官として大出世した鄭和*3雲南から一族を呼び寄せたので、南京在住の回族には今でも「鄭」という姓が多いという話を以前読んだのだが、出典たる本をどうしても探し出せない。鄭和の大航海を巡って、幸田露伴の小説『運命』をマークしておく。因みに、その後に書かれた所謂歴史小説で文体において『運命』に勝てる作品はないのでは?
運命―他一篇 (岩波文庫)

運命―他一篇 (岩波文庫)

先日の北京の集中豪雨は一日して北京がヴェネツィアになってしまったといわれており、TVの画面では天安門広場が湖になっていた。

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101004/1286161271

*2:「囫圇呑棗」、棗を丸呑みする、物事を鵜呑みにすることの喩え。

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081219/1229651651 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100226/1267202745