「三不老胡同」(メモ)

北島『城門開』*1からの抜書き。北島が住んでいた北京の「三不老胡同」の由来について;


(前略)這裡原是鄭和的宅邸、雕欄玉砌今何在、唯有假山、如瞎眼証人。
鄭和本姓馬、小名三保、明成祖朱棣賜姓鄭、三保老爹胡同由此得名、到了晩清、大概被囫圇呑棗*2的北京話、外加噎人的西北風纂改諧音―― 三不老胡同、倒也吉利。説起鄭和周游世界至今還是個謎、既不為了荽耀武力、又非貿易経商、動機何在?(「三不老胡同1号」、pp.67-68)
ところで、宦官として大出世した鄭和*3雲南から一族を呼び寄せたので、南京在住の回族には今でも「鄭」という姓が多いという話を以前読んだのだが、出典たる本をどうしても探し出せない。鄭和の大航海を巡って、幸田露伴の小説『運命』をマークしておく。因みに、その後に書かれた所謂歴史小説で文体において『運命』に勝てる作品はないのでは?
運命―他一篇 (岩波文庫)

運命―他一篇 (岩波文庫)

先日の北京の集中豪雨は一日して北京がヴェネツィアになってしまったといわれており、TVの画面では天安門広場が湖になっていた。

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101004/1286161271

*2:「囫圇呑棗」、棗を丸呑みする、物事を鵜呑みにすることの喩え。

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081219/1229651651 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100226/1267202745