メストレ駅にて

内田洋子『対岸のヴェネツィア*1から抜書き。
ミラノからヴェネツィアに向かう列車はヴェネツィアに到着する前に、ひとつ手前の「メストレ」に停車する。


今まで吹雪いていた空の裾が、薄白んできた。電車は、ヴェネツィアのひとつ手前のメストレ駅に着いたところである。けっこうな人数の乗り降りがあり、湿った外気と話し声、衣擦れの音が車内に流れ込んでくる。
窓からプラットフォームを眺める。過半数は外国人旅行者だが、相当数の一般乗客もいる。荷物もさることながら、その足元で一目瞭然に見分けが付く。観光客たちの足元は、押しなべて洒落ている。歩きやすそうなスポーツシューズは、最新モデルだ。この旅行のために用意したのだろう。イタリアへの弾む思いが伝わってくる。流行りのボア付きスエードブーツにニーハイブーツや編み上げのブーツも見える。革には鈍い照りがあり、垢抜けている。ヴェネツィアはひどく冷える。ロングブーツがあれば安心、と、あるいは旅の途中でイタリア製を買ったのかもしれない。
一方、あちこちで二、三人ずつ集まって立ち話をしている人たちは揃って、膝下までのゴム長靴にズボンの裾をたくし上げて無造作に押し込んでいる。ほとんどの男性は手ぶらで、荷物のある人はリュックを背負っている。雨足は強いのに、傘を持つ人は少ない。男性も女性も、船乗りが着るようなダウンジャケットを纏い、ウールの帽子の上からさらにフードを目深に被っている。雨がどうした寒さが何だ、と動じる様子はない。地元の人たちにとっては、悪天候も日常の繰り返しに過ぎない。
駅員が短く警笛を鳴らし、超特急電車は動き始めた。(「雨に降られて、美術館」、pp.13-14)