世に出る、世を出る

偶々最近「出世」という言葉を使ったのだが*1

西田知己『血の日本思想史』で、近松門左衛門の『出世景清』について語られているところ。


タイトルに冠された「出世」は仏教語で、衆生を救い導くために仏がこの世に仮に出現することをあらわした。『日葡辞書』では、例文の「世に出づる」について「この世に出てくること、すなわち、この世に生まれること」と説明している。現世に「出世」した観音様のご加護は『出世景清』にも色濃く、景清自身も信心深く描かれていた。他方で人間が仏門に入る「出世間」を省略した「出世」もあり、いずれも仏教的な用法になっている。
ところが同じ人間を主語にした場合でも、いわゆる昇進を意味する用法もあらわれた。『日葡辞書』の解説の後半には「坊主の間にある、或る階級に上がること」とあり、僧侶が高位に昇ることもあらわした。とくに公卿の子息が剃髪して出家した時には、昇進が早かった。こうした寺院内での慣例がもとになって、俗世間での昇進もカバーするようになった。そこから現代語の意味につながっている。(p.116)