先月末にIOCのジャック・ロゲ前会長がひっそりと息を引き取ったのだった。東京オリンピックの記憶も未だ褪めぬ中、オリンピックのアンチもプロもあまり注意を向けなかった。
『朝日新聞』の記事;
See also
IOC前会長のロゲ氏が死去 東京五輪の開催決定を発表
8/30(月) 1:17配信
国際オリンピック委員会(IOC)は29日、第8代会長で、肥大化した五輪のスリム化に取り組み、IOC委員の汚職撲滅に尽くしたジャック・ロゲさん*1が亡くなったと発表した。79歳だった。
ロゲさんはベルギー・ヘント出身。ヨット選手として1968年メキシコ五輪から3大会連続で五輪に出場した。91年にIOC委員に就任し、98年から理事。2001年、五輪の商業化に貢献したサマランチ元会長の後を継いで第8代会長に就任した。
会長就任時は、02年のソルトレークシティー冬季五輪の招致を巡ってIOC委員の買収スキャンダルが発覚したばかり。ロゲさんは倫理規定に違反した委員は大物でも追放するなど、厳しい姿勢でIOCの浄化に取り組んだ。五輪競技の肥大化抑制と活性化をはかるため、05年には野球、ソフトボールの除外が、09年にはゴルフと7人制ラグビーの追加が、IOC総会で決まった。
13年9月に開かれたIOC総会では、ロゲさんが20年夏季五輪の開催都市に「東京」が選ばれたと発表。「トーキョー」のひとことでも有名だった。
整形外科医の経歴を生かし、ドーピングに対してはメダル剝奪(はくだつ)も辞さない厳しい姿勢で臨んだ。若者のスポーツ離れを食い止めるために、14~18歳世代が競うユース五輪を創設し、10年にシンガポールで第1回大会を開いた。
13年にIOC会長を退任してからはIOC委員も辞任し、一線を退いた。
IOCによると、葬儀は近親者のみで行う予定。年末には関係者を集めた追悼式を行う見通しだという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2c64e686aae9bd6764efdc6f30cf371e21274d58
Homero De la Fuente “Jacques Rogge, former IOC president, dies at 79” https://edition.cnn.com/2021/08/29/sport/jacques-rogge-ioc-death/index.html
John Goodbody “Jacques Rogge obituary” https://www.theguardian.com/sport/2021/sep/03/jacques-rogge-obituary
朝日新聞「清廉潔白めざしたロゲ氏 バッハ会長と正反対だったリーダー像」https://news.yahoo.co.jp/articles/cba42ea88531db2f45b9938a528f5d1c70e3d92e
曰く、
在任中のインタビューでは、決して答えをはぐらかしたりせず、丁寧に答えてくれたことが思い出深い。五輪憲章で「個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と記しながら、実際は国旗掲揚があり、国家間の争いと化しているのは矛盾ではないか。そう問うと、「私が自由に選択できるなら、国旗を掲げる表彰式より、五輪旗を掲げる方を選ぶ。ただ、残念ながら国旗掲揚をやめたら、発展途上国のスポーツに対する投資の多くが消える。それが現実だ」と答えた。
1990年代に旧ソ連のウクライナの大統領と会談した際のエピソードを引き、「大統領は明快に言った。陸上棒高跳びのセルゲイ・ブブカの活躍は、経費をかけて派遣した140人の大使より、よほどウクライナの知名度を上げたと」。