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小菅には、東京法務局の城北出張所*1がありますので、葛飾区内や足立区内に本店がある企業で管理部門に携わっている人たちにとっては、「拘置所」ではなく、「登記所」のイメージが強いと思います。私も何度となく行きましたが、綾瀬駅からも徒歩圏内ですし、良い雰囲気の閑静な住宅街です。地名だけで悪いイメージを持たれることには賛成致しかねます。このままですと、三河島椎名町のように、地名が消されて駅名だけが残る…ということにもなりかねません。

ネット検索すると、葛飾区の「小菅」の方が山梨県の「小菅村*2よりも先に表示される*3。独立した自治体だというのに! これも「拘置所」故だろうか。堀江貴文カルロス・ゴーンのようなスター級の被疑者・被告が入所したり・出所したりすると、マスコミ各社はバイクやヘリコプターを動員した取材を敢行するので、どうしても「小菅」というと「拘置所」というイメージができてしまう。でも、地元の人にとっては、あまり気持ちのいいものではないというのも事実だろう。
かつては「小菅」といえば「小菅御殿」だったわけだけど、「御殿」から「拘置所」に至る経緯について、Wikipediaでは以下のように記述されている;

大政奉還後の1869年(明治2年)1月、関東郡代伊奈氏の屋敷跡(その後、一時将軍鷹狩りの休憩地「小菅御殿」となっていた)に県庁を置き、小菅県が誕生した。これは現在の東京都足立区、葛飾区、江戸川区や埼玉県、千葉県の各一部などを含む広大な土地であったが、当時はまだ全国に藩も混在していた時期で、1871年明治4年)11月には廃藩置県に伴って小菅県は廃止され、周辺は東京府南葛飾郡に属することとなった。

県庁跡地は約10年間煉瓦工場となった後、小菅監獄(小菅刑務所を経て、現在の東京拘置所)となった。

1889年(明治22年)の市制・町村制に伴い、小菅は南綾瀬村に属し(1928年(昭和3年)に南綾瀬町に昇格)、1932年(昭和7年)に葛飾区の設置に伴い小菅町となった。住居表示の実施により旧上千葉町の一部を小菅四丁目として編入し、現在の姿になった。その名残から現在でも小菅一丁目、二丁目、三丁目は全域が小菅神社の氏子区域だが、旧上千葉町である四丁目のみ西亀有、堀切、東堀切、お花茶屋と同じ上千葉香取神社の広大な氏子区域に属している。

「小菅御殿」については、例えば、


lunaticrosier「小菅御殿(2015年1月3日)東京都葛飾区小菅1-35-1」https://lunaticrosier.blog.fc2.com/blog-entry-1113.html
のろのろチャリダー「小菅御殿(東京拘置所)」http://slowlycycling.seesaa.net/article/478192212.html
「小菅御殿 メモ」http://yamada.sailog.jp/weblog/2018/11/post-3068.html


「小菅御殿」の敷地というのは広大なもので、現在の「拘置所」はその一部にすぎなかったようだ。
ところで、「東京拘置所」が小菅にあるのはGHQのせいで、そもそも「東京拘置所」は巣鴨(現在の東池袋サンシャインシティの場所)にあった。敗戦後にGHQに接収されたため、「小菅刑務所」と同居せざるを得なくなった。その後、巣鴨に復帰するが、1971年に「小菅」に移転(「小菅刑務所」は栃木県に移転)。GHQに接収されていた間、巣鴨プリズンとして、戦争犯罪人が収監され、東條英機らもここで処刑された。何故「巣鴨」なのか、長年もやもやしていたのだけど、旧巣鴨村の域内だったから、ということでよろしいか?