「マサ」たちの親?

『デイリースポーツ』の記事;


2018.07.16.
プロレスラー・マサ斎藤さん死去 75歳 パーキンソン病で闘病 猪木と巌流島決戦
 

 プロレスラーのマサ斎藤さん(本名・斎藤昌典)*1が14日午前1時5分に死去したと、健介オフィスが16日、発表した。長年パーキンソン病で闘病していた。75歳だった。

 妻の斎藤倫子さんの名義で死去の報告がなされている。パーキンソン病のリハビリ中に容体が急変したといい「7月14日1時5分に永眠しました。穏やかながらも、新たなチャレンジへ向かう様なマサ斎藤らしい力強い旅立ちでした」とつづられている。

 「夫 マサ斎藤は長期に渡り、パーキンソン病と闘い続けて来ました。17年にもわたる闘病生活は、“Go For Broke(当たって砕けろ!)”をモットーに掲げる彼にしても、想像を絶するほど辛く厳しいものでした」と闘病生活も振り返った。来年に「カムバックのチャンスも出て来ました」という中、状況が悪化したという。

 マサ斎藤さんは、東京五輪レスリング97キロ級代表。65年、日本プロでデビューしたが、翌年東京プロレスに移籍。東プロの崩壊後は渡米して腕を磨き、フリーで活躍した。72年に日プロ復帰、74年から新日本に参戦した。

 長いキャリアのハイライトは87年、「昭和巌流島の決闘」と呼ばれたアントニオ猪木とのデスマッチだった。無観客で行われた何もかも異例の一戦は2時間5分14秒に及ぶ死闘の末、裸絞めに沈んだ。85年に米国で警官暴行事件に絡んで服役したことを受け、後に「監獄固め」を開発した。

 1999年に引退した後もプロレス界と関わりを持ち続けていたが、体調不良も知られるようになっていた。解説者としても実況アナとの掛け合いでプロレスファンを楽しませていた。

 通夜、および葬儀は家族・関係者により都内で営まれる予定だとしている。
https://www.daily.co.jp/ring/2018/07/16/0011450634.shtml

東京スポーツ』;

アントニオ猪木氏 マサ斎藤さんとの巌流島決闘「忘れることができません」

2018年7月16日 21時19分 東スポWeb


 14日に死去したプロレス界のレジェンド、マサ斎藤さん(本名・斎藤昌典、享年75)の訃報を受け、往年のライバルだったアントニオ猪木参院議員(75)が追悼コメントを出した。

マサ斎藤選手の訃報に接し、心より哀悼の意を表します。思えば斎藤選手とは、東京プロレスからの長きにわたるご縁であり、巌流島での2人だけの決闘は忘れることができません。私のライバルとして、五輪代表選手として、尊敬できるレスラーでした。ご苦労さまでした」

 2人は1987年10月4日に巌流島でノーピープルマッチを行い、2時間5分14秒の死闘を繰り広げた。
http://news.livedoor.com/article/detail/15020388/

無数のマサオ、マサシ、マサコ、マサミ、マサヨがいて、「マサ」と省略されて呼ばれる場合も少なくなかった。そして、誰かを「マサ」と呼ぶとき、「マサ斎藤」を意識していた筈だ。特に、私±10歳くらいの世代においては。その意味では、無数の「マサ」たちの親のようなものだともいえる。
パーキンソン病モハメド・アリと同じ*2