ORICON NEWS「“イジられ芸”の価値が向上」 https://www.asahi.com/and_w/interest/entertainment/CORI2114819.html
「イジられ芸」(「リアクション芸やスベリ芸」)の系譜が語られている。
そういえば、『ひょうきん族』の稲川淳二
“イジられ芸”のルーツは1980年代前半、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の片岡鶴太郎*1、稲川淳二*2あたりにあるとされる。実際は稲川の登場はわずかだったが、鶴太郎がビートたけしに熱々のおでんを無理やり口に入れられたり、わざと熱々のコンニャクを鼻や頬など口以外に押しつけられて苦悶するという、いわゆる“おでん芸”がここからスタートしたのだ。また、稲川淳二にしても『ひょうきん族』のみならず、他のバラエティ番組で「猛獣のいる檻に閉じ込められる役」的なポジションを獲得しており、両者ともイジられ芸人の先駆者だったのである。
1990年代の展開;
ところで、いじりといじめの違いというのはどうなっているのだろうか。ここで挙げられているようなことを子どもが真似したら、しゃれにならないとはいえるだろう。「イジられ芸」というのは、常にそのような可能性や現実性を想定されて、世の中の良識ある人々の顰蹙を買ってきたといえるだろう。また、いじるという場合、普通は、もうちょっと軽い意味で使っている筈だ。〈童貞いじり〉とか。ちょっとかからかってやるくらいの軽さ。そういう意味でのいじり藝の嚆矢というと、大橋巨泉*3だろうか。
一方、1989年にはじまる『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)では、たけし軍団以外の出川哲朗、ダチョウ倶楽部などが“リアクション芸”で存在感を発揮していく。また、ダチョウ倶楽部は同事務所だった片岡鶴太郎の“おでん芸”を継承、もはや日本の“伝統芸能”化している。さらにダチョウ倶楽部のもう一つのお家芸、“熱湯風呂”も同時期の『スーパーJOCKY』(日本テレビ系)で確立された。こうして見ると、イジられ芸のメジャー化においては、ビートたけしの功績はかなり大きかったと言えるだろう。イジられ芸のメジャー化・拡大化は、1990年代初頭に『進め!電波少年』(日本テレビ系)ブームをもたらし、少なからず社会にも影響を与えるようになる。当初は松村邦洋をはじめ、ほぼ“イジられ芸”のみで構成されたような番組であり、松村は「渋谷のチーマーを更生する」などの企画で活躍し、チーマーに取り囲まれたり、追っかけられたりする場面をそのまま放送。また、松村の盟友とも言える立場だった出川もチーマーによる“出川狩り”に遭い、「渋谷(なんて)歩けなかった。“(出川を)見つけたらやってしまえ”って。本当にこわかった」と本人が明かしている。
*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111219/1324265873 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161112/1478960736
*2:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160620/1466438527 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170208/1486526525
*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110703/1309705169 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110806/1312601388 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160714/1468425431 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160720/1469029004 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170208/1486526525 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180501/1525182676 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180520/1526832065 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180531/1527737235