戦闘と戦争問題?

承前*1

World Cup 2018: Japan go through but final group game ends in 'mind-boggling farce'” https://www.bbc.com/sport/football/44649668
関根和弘「日本の「時間稼ぎ」パス回しに会場からは大ブーイング(ワールドカップポーランド戦)」https://www.huffingtonpost.jp/2018/06/28/japan-go-to-final-tournament_a_23470414/
南麻理江「ブーイング受けながらも決勝T進出を決めた日本代表。西野監督や選手たちのコメントは? 《ワールドカップ》」https://www.huffingtonpost.jp/2018/06/28/wcup-comment_a_23470394/
下司佳代子、疋田多揚、河原田慎一「「あぜん」「ギリギリの判断」日本の戦いぶりに各国」https://www.asahi.com/articles/ASL6Y231FL6YUHBI004.html
西野監督の采配に賛否「素直に喜べない」「すごい決断」」https://www.asahi.com/articles/ASL6Y1R7FL6YUTIL001.html


まあ、西野朗監督は、戦術的にではなく「戦略的」に振る舞ったわけだ。それを卑怯といったような通俗道徳的なタームで批評してはならない。戦闘(battle)か戦争(war)かという問題。戦争において重要なのは、個々の戦闘に勝ったか負けたかということよりも戦争が終わったときに戦勝国の側に座っているのか敗戦国の側に座っているのかの方だということ。例えば、仏蘭西第一次世界大戦でも第二次大戦でも戦闘では負けているにも拘らず、戦争には勝っているのだった。しかし、問題はそれだけではない。美学的問題といったらいいのだろうか。「ブーイング」の多くは「パス回し」が美しくないと感じられたからだろう。そこでは、さらにスポーツのテロスにも関係する問題が提起される筈だ。アスリートの仕事とは何か。勝負なのか、それとも美しくて卓越したパフォーマンスを呈示することのなのか。或いは、この2つが齟齬を来したとき、どちらを優先させなければいけないのか。