或いは「ギャル」の意味とか

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180615/1529024639に対して、


nessko*1 2018/06/16 21:26

私は森田童子というのは名前とあの顔写真しかしらなくて、それもその写真がモノクロで背景も暗くて、カーリーヘアが顔に被さってて黒メガネをかけていて、森田童子は男性だと思い込んでいました。今回の訃報ではじめて女性だったのだと気がついた次第です。男だと思い込んでいたせいで、歌を聞いたことがあってもそれが森田童子だと気がついていなかった可能性がある。
そして、1993年ですか、自分はあまりテレビを見なくなっていた時期と重なるのでこのころのテレビドラマは全然知らないのですね。
私にとってはあの写真の印象は、1960年代末から70年代はじめにかけての、フォークとかのイメージ、自分はリアルタイムでは体験しなかったちょっと上の年代の人たちの流行みたいなものを想像させられます。
なので、90年代前半を思い出す人もいるのだ、というのは新鮮な発見でした。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180615/1529024639#c1529151968

さて、1970年代に、森田日記というボーイッシュな女性が活動していて、同じ「森田」ということで、この2人を混同したことがなかったわけではありません(笑)。さて、1980年代というと、〈ボディコン〉の時代ということがよく言われますが、少なくとも〈バブル〉に入る以前の文化では、寧ろ中性的な女性のイメージが前面化していたんじゃないですか。刈り上げのテクノ・カットもそうだといえないこともないですけど、もっと具体的に言えば、『時をかける少女』の原田知世*2や『風の谷のナウシカ』。まあ、これらと「森田童子」とは多分関係ないでしょう。そういえば、「ギャル」という言葉は、1990年代以降になると、「コギャル」というか、渋谷109とかガングロといったイメージに固まっていってしまうのですが、最初は全然違うニュアンスを有していた。1970年代の後半に『ギャルズ・ライフ』という雑誌が創刊されるのですが、私の記憶だと、渋谷陽一がその創刊にコメントを寄せていて、自分のことを「僕」と呼ぶような女の子こそ「ギャル」と呼ばれるに相応しいみたいなことを言っていました。たしか1980年だったと思いますが、ロバート・フリップがThe Rochesという女性のフォーク・トリオのデビュー・アルバムをプロデュースするのですが、その日本でのタイトルが(たしか)『アーバン・ギャルズ』。これは、紐育のアーティスティックな世界にいる(21世紀的な表現を使えば)〈意識高い系〉の若い女性というようなニュアンス。そういうイメージは長くは続かず、その1年か2年後に上野千鶴子『セクシィ・ギャルの大研究』*3が上梓された頃には、「ギャル」=ヘテロセクシュアルの男性の(特に)自慰的性の対象というニュアンスが支配的になり、森田童子にしても、その後の原田知世にしてもナウシカにしても、「ギャル」の対極というか反「ギャル」的な存在ということになっていきます。
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Roches

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森田童子から感じるのは1970年代のATG映画の雰囲気。まあ、それは私がその歌を日本映画専門の映画館でよく聴いていたからにすぎないかも知れないですけど*4。「1960年代末から70年代はじめにかけての、フォークとかのイメージ」ということですけど、山崎ハコさん*5もそうですけど、森田童子という人は、ムーヴメントとしての「フォーク」が終焉した後にデビューした人だということは重要だと思います。1975年頃は、南こうせつさだまさしがメジャー化した時期でもありますが、(ファンの人には殴られるかも知れませんが)それらは〈ハイカラ演歌〉でしかなかった。
さて、こんな記事もありますね;


森朋之*6「過去の名曲を“再利用”する背景は? 制作担当者が明かすCMソングの変化」https://www.oricon.co.jp/special/51279/