承前*1
石戸諭*2「東大の絵画廃棄「理由が不明」の不気味さ」http://blogos.com/article/301753/
東京大学安田講堂地下の食堂にあった宇佐美圭司「きずな」が破棄(破壊)された事件を巡って。当の東大生協関係者の話と(専門家として)東京国立近代美術館企画課長の蔵屋美香さんの話を中心として。
東大生協の担当者はこう語る。「生協の所有物ということで、私たちが決めていいものだと思いました。特にプレートなども設置されておらず、どのような作品かは知りませんでした。特段の議論もなく改修した後には置けないということで処分が決定しました」
「作品の由来は全く知りませんでした。重要な作品であるという認識の共有が欠如していました。壁に飾っている絵という認識でした。絵を見ても特に処分はまずいという議論もなく、廃棄は決定しました。そのままスルーしてしまいました」
そして、宇佐美の代表作は生協が依頼した業者が「カッターのようなもので」切り刻み、撤去と廃棄処分は完了した。作品は歴史から消えていったのだ。どうして処分したのかという問いに対して、東大生協が繰り返し強調したのが「生協の所有物だから、自分たちで廃棄を決定してもいいと思った」「わからなかった、思い至らなかった」という2点だった。
美術品には公共的な価値、歴史的な価値がある。所有者が所有物だからということを理由に勝手に処分していいのか。そう聞いても「そのような視点は思い至らなかった」「わからなかったんです」「考えが及ばなかった」を繰り返す。
わからないけど、調べなかった。自分たちのものだから、自分たちで処分していい。
何を聞いても、この2点しか繰り返さない。廃棄が決まる議論の過程や詳細は語られない、というより語るほどの内容もなく、ただただ価値とは関係ないところで結論だけが決まっていたという印象が残った。
蔵屋美香さんによれば、このような問題はこれまでにもあったし、今後増える可能性がある;
生協の対応の特徴は、不祥事対応にありがちな傲慢な反論や開き直りとは対照的に、とにもかくにも素直に認めて謝るという姿勢だった。だからこそ、疑問も残る。わからなかったのではなく、わかろうとしなかったのではないか。結果、わからないものは捨ててもいいになってしまったのではないか。
思考停止――。録音したテープを聴いていると、東大生協の担当者はこの言葉に間髪入れずに反応していた。
「思考停止? はい」、と。
いちばんの問題の所在;
「東大生協の対応は決して珍しいものではないです。建て替えや建て壊しで人知れず無くなっていった美術作品は結構な数があるはずです」例えば、と蔵屋さんが例にあげたのは岡本太郎だ。丸の内にあった旧東京都庁には岡本太郎の陶板レリーフが飾られていた。しかし、新宿移転の際、廃棄が決まり、旧都庁とともに取り壊された。岡本太郎記念館ホームページには、「1991年5月 56年制作の陶板レリーフの保存運動がおこるが、9月に取り壊される」と書かれている。
蔵屋さんは続ける。日本の美術史には公共空間への美術作品設置ブームが何度かある。古くは1920年代〜30年代の壁画ブーム、近年では1980年代〜90年代の立体作品を中心としたパブリックアートブームがそれにあたる。
要するにお金に比較的余裕がある時期に企業や行政が有名な美術家に壁画など作品を依頼するということだ。
これから、バブル期に依頼され、設置から30年〜40年を迎える作品がどんどん出てくる。設置された建物は老朽化しており、作品を保存するには労力がかかる。
「建て替えが捨てどきだと判断する企業や自治体があっても不思議ではないですよね? 今回は美術研究者が多数いる東大の食堂に飾られていて、しかも宇佐美さんの代表作だからニュースになったと思うんです。でも、ニュースにならずにひっそりと捨てられる作品は今も昔も決して少なくない」
「一般論でいえば、議論を尽くし、ほんとうに避けがたい理由が立てば、廃棄するという決断を下す場合があるかも知れないとも思います。そもそも全ての作品を保存できないことは美術館の人間としてよくわかっています。問題は結論に至る理由です」「明確に廃棄する理由があれば説明すればいい。『わからないから捨てた』以上のものがないことが問題なのです」
冒頭の一文をもう一度引用しよう。「絵画とは歴史である。そして歴史とはさまざまな方法であろう」。この本のなかで宇佐美はセザンヌやレオナルド・ダ・ヴィンチらを「歴史上の友人たち」と呼ぶ*3。「廃棄の理由が『現代絵画が嫌いである』『食堂にふさわしくない』ならまだ理由があるから理解の範囲内です。歴史を何より重視した画家の知性が詰まった作品が、明確な理由が廃棄だからという理由だけで誰も止めずに捨てられていく……。思考が止まっているような気がするんです」
*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180501/1525139683 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180502/1525224770 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180509/1525807617
*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160122/1453481204 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160127/1453866712 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160325/1458875216 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160409/1460163099 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160415/1460648516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160526/1464228316 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160603/1464959516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161105/1478309427 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161211/1481482837 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170103/1483467085 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170516/1494962934 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171108/1510149623 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171111/1510404872 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171113/1510590081 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171222/1513915420 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180206/1517935255 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180226/1519612385 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180301/1519907714 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180303/1520088990 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180417/1523990276 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180502/1525264751 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180523/1527094826
*3:宇佐美圭司『20世紀美術』からの引用。