十津川警部、憲法を語る

角川書店のPR雑誌『本の旅人』に西村京太郎*1の『知覧と指宿枕崎線の間』という小説が連載されている。その第一回目、第1章「大義を知っていますか」を偶々読んだ(269、2018、pp.28-43)。
少し引用。多分ネタバレにはならないだろう。
「有楽町に本社のある中央新聞の記者」「井崎要介、三十歳」が殺され、「井崎」の「ジャンバーのポケットには」「二つ折りにした白封筒」が入っており、その封筒の中には「大義」という字が書かれた紙が入っていた(p.29)。
その事件現場にやってきた、「十津川」を初めとする「捜査一課」の刑事たちの会話;


十津川が興味を持ったのも、「大義」だった。
「太平洋戦争の経験者に、戦争体験について、話を聞いたことがある」
と、十津川は、若い日下刑事にいった。
「その時に大義という言葉を何回も聞いている。あの戦争は、総力戦だった。とにかく、勝利しなければ日本は亡びる、日本民族は消えるとまで考えていた。だから、国家という大義の前には、個人も家族の問題は否定された。個人の生死もだよ。こんな言葉も聞いた。生は死に勝り、義は生に勝るとね」
「それは、戦争中でも、果たして正しかったんですか?」
若い日下が疑問をぶつけてくる。傍にいた亀井が、
「私も、戦争体験はないが、話に聞くと、大義の前には個人の利益など、ゴミ屑のように捨て去られていたそうだ」
「それは、間違っていると思いますね」
日下はちらりと、踏み荒らされた草むらに眼をやった。(p.30)

大義というやつは、いつの時代だって、厄介なものだよ」
と、十津川は、話の続きでいった。
「戦争中は、大義の前に、個は否定されていた。だから、新しい憲法では、わざわざ『個人として尊重される』*2と書かれているんだ」
「しかし、改憲派の人々は、『個人』を消して『公』を入れようとしています、その人たちの『公』は、言いかえれば『大義』だと思うんですが」
と、もう一人の若い刑事、三田村がいった。
「つまり、『大義』という言葉は、捉えどころがないんだ。時代によっても意味が違うし、重さも違ってくる。だが、戦争が終わって、戦争のために肥大化した『大義』が聞かれなくなって、ほっとしている老人も多いと思うね」(pp.30-31)