「目的」はある

「「徘徊」使うの、もうやめる。認知症の人の声を尊重、自治体で見直しの動き」https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/24/haikai_a_23394546/


これは『朝日新聞』の記事。


朝日新聞は今後の記事で、認知症の人の行動を表す際に「徘徊(はいかい)」の言葉を原則として使わず、「外出中に道に迷う」などと表現することにします。今後も認知症の人の思いや人権について、本人の思いを受け止め、様々な側面から読者のみなさんとともに考えていきたいと思います。

認知症の人が一人で外出したり、道に迷ったりすることを「徘徊(はいかい)」と呼んできた。だが認知症の本人からその呼び方をやめてほしいという声があがり、自治体などで「徘徊」を使わない動きが広がっている。

 「目的もなく、うろうろと歩きまわること」(大辞林)、「どこともなく歩きまわること」(広辞苑)。辞書に載る「徘徊」の一般的な説明だ。

 東京都町田市で活動する「認知症とともに歩む人・本人会議」メンバーで認知症の初期と診断されている生川(いくかわ)幹雄さん(68)は「徘徊と呼ばれるのは受け入れられない」と話す。散歩中に自分がどこにいるのか分からなくなった経験があるが、「私は散歩という目的があって出かけた。道がわからず怖かったが、家に帰らなければと意識していた。徘徊ではないと思う」。

つまり「目的」はあるので、「徘徊」は間違いということになる。
この記事の本文は無署名だが、清川卓史編集委員の署名の「解説」が付されている。それに曰く、

認知症をめぐる言葉は歴史とともに変化してきた。「徘徊(はいかい)」については医療・介護の現場からも「時代にあわない」と問題提起がなされている。

 認知症の人が道に迷うのは、場所や時間感覚がわかりにくくなる「見当識障害」が原因とされる。長く第一線で認知症診療にあたってきた精神科医の松本一生さんは「経験上、(道に迷う)認知症の人の7割ほどは、何かしら理由があって歩き、必死になって道を探している」と話し、新たな言葉に言い換えていくべきだと指摘する。

「痴呆症」が「認知症」に代わったのは2004年だったか。
他人の言葉の引用も含めて、「認知症」との関連で「徘徊」というのはそれなりに使っているのだった*1。まあ、「徘徊」というのはあまり使わない方がいいのだろうと思った。当事者が「傷つく」とかそういうことじゃなくて、端的に間違っているから。でも、別に「目的もなく、うろうろと歩きまわる」ことも悪くないと思う。歩行に理由は要らない。
ところで、映画における「徘徊」でいちばん記憶に残っているのは、侯孝賢の『童年往時』。主人公の祖母の「徘徊」。しかし、(地理的・政治的に)到達不可能であったとはいえ、目的地はあったので、「徘徊」ではないということになる。
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