重慶大厦式新自由主義(メモ)

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

小川さやか『「その日暮らし」の人類学』からメモ。
ゴードン・マシューズによる香港重慶大厦(Chungking Mansions)のエスノグラフィGetto on the Center of the World: Chungking Mansions(University of Chicago Press, 2011)*1に依拠した記述;


最もシンプルで直截的な定義では、新自由主義とは市場を価値の究極的な調停者として強調し、国家による市場への統制を最小限にすることを提唱するイデオロギーとされる。このイデオロギーに基づくグローバル経済システムによって周縁化されてきた人びとを扱うことの多い人類学のメインストリームは、たいてい新自由主義に対して批判的な視座に立ってきた。自己責任の原則のもとで自由競争を促進する新自由主義は、大企業やグローバル企業にだけ利益を与え、勝ち組と負け組の境をますます強固にするものであると。
しかしマシューズは、そうした周縁化された人びとのハブとなった香港における主流のイデオロギーは「新自由主義」だと断言する。チョンキン・マンションは、アフリカや中東、アジア、中南米からの香港や中国で商品を買いつける零細交易人だけでなく、一時的な避難所として逃げてきた亡命者、香港や中国で生計を模索する出稼ぎ労働者、零細企業家、バックパッカーセックスワーカー、薬物乱用者の集住する場でもある。この世界で最もコスモポリタンな場所は、何よりまず香港当局がその入国に際して非常に緩やかな規制しかしていないことによって形成されている。香港警察は、不法労働や売春などのマイナーな違法行為に対して寛容である。また香港は、地下銀行やインフォーマルな両替商に対する黙認も含めて、金融取引も容易な場所である。中国との国境は穴だらけで商品の密貿易も簡単だ。それは、そうした自由さ・寛容さでもって香港の経済が機能しているという認識に基づいており、その上に成り立つ香港の新自由主義は、少なくとも下からのグローバル化の促進において肯定的に作用している、とマシューズは主張する。
マシューズによれば、チョンキン・マンションに集まる文化や社会的背景(人種や民族、宗教)の異なる人びとはあまり争わないという。その理由は「カネを稼ぐ」ことが彼らの共通した第一目的となっており、文化や慣習の違いに大きな関心が持たれないからだという。チョンキン・マンションへの参加は、あたかも「第三世界の成功者のクラブ」への加入であるかのようにみなされ、そこでは騙されることも含めて、経済的な成功や貧富の格差を生み出す新自由主義のルールは、誰もが望んで参加を決めたゲームとして捉えられている。ただし、チョンキン・マンションで生じていることは、新自由主義の理論にいくらか反してもいる。
何が違うのかといえば、ふつう新自由主義とそれを促進する国民国家のシステムは、上からのグローバル化を構成する大企業や多国籍企業に恩恵をもたらすように機能するものであるが、ここでの新自由主義無政府主義的なまでに徹底したものであるために、必ずしも大企業や多国籍企業がひとり勝ちする市場になっていないのである(略)
ここでは、国家の法や公的な文書は価値を持たず、香港や中国に商人本人が出向いてみずから対面交渉をし、そこで取引の子細と輸送までの手続きを確かめなければ騙されやすい。人びとは大企業の権威を無視し、具体的な人間との関係性でしか動かない。面倒な交渉を通じて人間関係を築いてやり取りしない限り、容易に「カモ」にされる。チョンキン・マンションは、対面的な関係こそが信頼できるすべてであるという理由によって、世界中から商人たちを引き寄せる。世界中から商人たちがわざわざ集まってくることこそが、香港を活気づけ、香港経済が発展する要となっているのだ。(pp.103-106)
因みに、重慶大厦の裏手はペニンシュラ・ホテル。